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湘南の怪談話 キュンとする街 藤沢

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さて 旧ブログで幽霊でるよ~と書いた 近所の沼

今日はここに呼ばれてたので 行ってきました 

小雨混じりのいい感じの日に

右側の柳の木の下で おかっぱの女の子またいました

10歳くらいで たぶん昭和30年代に亡くなった子 

肺炎ですかね?

結核かも?

向かって右側の塀のほうを恨めしそうに見てるわけ

で柳のあたりに行くと お兄ちゃん と呼び止められ

世間で お兄ちゃんと呼ぶのは トラ屋のさくら

(おっとは町工場の安月給)だけ

なので トラ(NOT あぶさんの息子)のように振り向くと

おかっぱ少女が

今日はどてらではなく 白いシャツにスカート 

昭和~って感じの

ああ、きょうは この少女に呼ばれたなと

名前なんていうの?やっぱ さくらか?

お兄ちゃんはフーテンか?と聞いても はにゃ~?という感じ

そしたら名前は 千代子というらしいです

なんで恨めしそうに見てたかといいますと

塀の向こうは高校で 今日は文化祭なんですね

OBやらも来てて 出店もでたりで 楽しそう

千代子氏は ここでずーっと 友達もいずに

過ごしてたから うらやましいんだろうね

わたしだって 高校の文化祭見たら なんだか胸がきゅんとしたわ!!

まさにきゅんとする街、藤沢です

(いまそういうキャッチコピーで頑張ってます 藤沢は)

私学校あんまり行ってないの 体弱かったから

と聞きもしないのに 身の上話をされてしまい

いやいや、お前の話より 女子高生ばっかきになるわ!! 

女子高生と

付き合いたいぞ!!

と心叫びますが

千代子はここにいて何が楽しみ?と聞くと

お母さんと子供が一緒にここで遊ぶのをみて

うらやましいんだって

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人の話にきちんと答えましょう アスペです!!

ぱるるとおんなじ!!

なので 千代子のお父さんは大酒のみで

ろくに仕事もせずに 酔っぱらうと暴力で

それでお母さんは逃げ出したんだもんなあ 

幼い千代子を置いて~

とかってに千代子一家のキャラクター付けをして

話したら おこってどっか消えました ははは

アスペ決定!!

案外幼い子供の霊 見ますね~ このあたり

昭和30年代くらいの

七里ガ浜や鎌高前なんかは 結核で亡くなった子供

何人も見ますし

昔結核の療養所ありましたから

葉山なんかでは 外人の霊みますよ~

たしか 外人の療養所あったんですよね~

10代後半~20代くらいの 若いきれいな女子が

ま、イメージ的にはこんなイメージ

ええ曲だな~っとね

さて真田丸みよっと

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コメント

  1. johnny99 より:

    エーッ! そんな可憐な少女を怒らせちゃっていいの?(^^;

    送ってはやんないんですね…。 送り狼。

  2. 翠榎 より:

    9月4日付けの記事のコメント欄にお昼過ぎにアップしました私の最新コメントが、いま見ると途中からカットされてしまっているのですがどうしてしまったのでしょう(^_^;)?
    アップした当初は全文ちゃんと載ってたんですけど…
    おかしいですね。「WARNING」とか出ているし…(?_?)

  3. jimi より:

    なんでですかね?さっぱり理由わからんです
    ま、私の記事の投稿も飛んじゃうことあったりなので

    そういうこともあるのかも また投稿してください
    WARNING 意味わからんですな

  4. 翠榎 より:

    どちらに投稿したら良いでしょうかね?
    あのコメは、さらさんが以前お尋ねの件に、いま書いておかないと、と判断して投稿させていただいた内容のものなのです。
    カットされずに残っているコメ(「宇」の説明)は、念のため以前に書きました内容の重複部分ですし、
    よりによって今回初めてご説明させていただきました部分である「あ(阿)・い(伊)・う(宇)」の内の、(い=伊)と(あ=阿)の説明のところがカットされてしまいました。
    もしかして“禁忌”に触れての当該部分への「措置」の可能性?

  5. さら より:

    翠榎さま

    おはようございます!
    「伊」は熟達、長老。「阿」は木徳の精霊。という説明までは見えてます。大丈夫です!あ、でもそれ以外でも説明がありましたか?(それは見えていません!)
    「弥彦」は「伊夜比古」とも表記するのですね。「伊」ですね。
    …ちょっとまだまとまらないんですが…磐長姫とこの弥彦が関係あるんじゃないかと思っています。そこに神津島もです。黒曜石と翡翠。このルートは縄文からあったんでしょう。沼河比売も気になってきました…。
    北方系韃靼人のことはよくわからないんですが…それよりも前のことなのではないかと思います。
    四柏手を打つのは、「出雲」「宇佐」「弥彦」。「伊勢」は八柏手?
    「五十猛」も気になります。「勾玉」も…気になるキーワードがたくさん出てきます。何か大きなカラクリがありませんか?(あ…でもそこを探ることが禁則なんですね?)

    • 翠榎 より:

      ああご覧になられていたのですね。良かったです^^

      彌彦様は、先コメいたしましたように尾張氏系の祖神・天香山命を祀るというのが一般的な味方ですが、ヤビコの音韻やその場所柄や奉祭氏族が高橋氏であることから、阿倍氏・高橋氏の祖・大彦命ではないのか、とか、北陸の覇者であった安日彦(アビコ)ではないか、とか、そのあるいは両者は同人である、とか様々な方が様々な説を唱えられておりますね。
      そして
      さらさんおっしゃいますように伊夜比古の表記。こうなると私は「伊夜」は、「伊予」ではないのか、つまり伊夜比古とは伊予比古、あるいは伊予都比古で、伊予族(=鴨族)の首長のことではないのか、という可能性に気持ちが大きく向いてきてしまいます。
      黒曜石やアスファルトは東京の多摩郡の調布や三鷹の旧石器遺跡からも出土していまして、それらは信濃産であることが分かっています。つまり、数万年前からすでに多摩郡領域と信濃方面とは交易などの人的交流があったことが分かっていますので、これまた、さらさん仰いますとおり、弥生時代頃以降と思われる北方系韃靼人どころの話ではないですね。

      五十猛(伊都猛)命は、たびたび書いて来ていますイタテ神(「イタテ」は、射楯 射達 因達 伊達 などと表記。さらには、伊太の神 とも)と同神とされ、チャムさんや私にもゆかりのある大神様です。

    • 翠榎 より:

      それから一応もう一度…

      「伊」の意味につきましてはその通りです。
      一方、
      「阿」につきましては、「伊」「宇」と違い、「意味」というよりも「属性」のことになります。
      「阿」族は、陰陽五行でいう木徳の霊統の精霊たちです。ですのでその特性は「仁愛」となります。
      古代以来の中国の王朝の歴史において、歴代の王や皇帝が仁の心を忘れ、民に対して暴虐の限りを尽くすようになった時、都度この「阿」の精霊たちが表に出てきて、それら中国王家を何度も滅亡させているのだそうです。
      この「阿」の霊統の代表的なものが阿修羅です。
      そして阿房宮も、「阿」族の精霊が懸かって建てられたものだそうです。
      以上、ぜんぶ先達から教えていただきましたことです。
      特に
      「阿」族のことは、先達が三河・岡崎の真福寺に参られた時に、物部の方々が降りて来られて、一瞬の内に膨大な量の情報を下ろされてこられたのですが、その中の要になる部分です。

      ※真福寺:筍(たけのこ)料理で有名なお寺。元は泉(湧き水)を祀る神社であった。蘇我氏に滅ぼされた物部連惣領・弓削大連守屋公のご次男である物部真福(もののべのまさち)公が建立したもの。

  6. 匿名 より:

    あー、びっくりした。
    (・。・;
    ごめんなさい。私、そのコメントのやり取りは見ていないのですけど、さらさんのコメで「韃靼人」と出てきたのを見て、ちょうど昨日やった心理テストに8~11番迄に好きな曲名を…とあって11番に書いたのが「ダッタン人の踊り」でその曲が私自身の人生を表す曲だと出まして。
    (ナンのこっちゃ??!( ̄▽ ̄;))

    そして「五十猛」!
    伊太祁曽神社の御祭神で何のご縁か御札を頂き先日まで部屋に飾り今は実家の神棚にあるというご縁。
    タイムリー過ぎてドキッとしてしまいました!
    横から失礼しました!

  7. ジャン・レノ より:

    あー、びっくりした。
    (・。・;
    ごめんなさい。私、そのコメントのやり取りは見ていないのですけど、さらさんのコメで「韃靼人」と出てきたのを見て、ちょうど昨日やった心理テストに8~11番迄に好きな曲名を…とあって11番に書いたのが「ダッタン人の踊り」でその曲が私自身の人生を表す曲だと出まして。
    (ナンのこっちゃ??!( ̄▽ ̄;))

    そして「五十猛」!
    伊太祁曽神社の御祭神で何のご縁か御札を頂き先日まで部屋に飾り今は実家の神棚にあるというご縁。
    タイムリー過ぎてドキッとしてしまいました!
    横から失礼しました!

  8. さら より:

    翠榎さま

    いろいろ貴重なお話ありがとうございます!私は何と言っても昨年末からの…ほんの9ヶ月の歴史知識ですので…足りないところたくさんなのでとても助かります^^; おかげさまで随分と近道でたどり着いている気がします(笑) …それと、不思議なんですけど、翠榎さんを通して繋がる感じもするんです。翠榎さんとやりとりしていると思い浮かぶんです(笑)

    …今日もいろいろ浮かびました!でもまとまらないんです。断片の…歴史的に合ってるのかわからないんですけど…。
    弥彦神社から浮かぶのは…やはり尾張です。そして伊勢津彦。大屋彦。そこから紀の国。名草戸畔…。弥彦神社は東北へも繋がります。早池峰山。月山。上杉謙信。伊達政宗。私は今、東北某所に住んでいます。これまでは名古屋、三重、奈良などに住んでいて…なぜ東北へ?と思ったんですが…その意味がわかりました(笑) 「阿」は伊豆にも「熱海」。そして伊豆の辺りも伊勢・尾張とも繋がってますよね。ジミヘンさんの政子の話のように。私の母方の先祖も、そうなんです。…うちの両親、今は鎌倉に住んでます!なるほどって思います。

    話しは飛びますが…最近私の手元に夜光杯という盃が来て…それは「酒泉」という場所で作られた玉の杯なんです。翡翠に似た蛇紋石でできています。…ここからも何か繋がるんだろうなと調べていると…過程は端折りますが…「優婆夷」というキーワードにたどり着き…これが「尾張」の語源という説もあると。そしてそこから「宇那比姫」が…。

    「越」は「高志」なら「ヤマタノオロチ」「えち」なら「愛知」と連想されます…。「ヤマタノオロチ」は私には「蘇鉄」なんです^^;
    とりとめもなく…浮かんだことの羅列!すみません。…翠榎さんなら…わかりますか?(…でも…これは単なる妄想ですので…なんだか私の中では繋がっていったというだけですので…)

    • 翠榎 より:

      さらさん

      「彌彦様から浮かぶのは尾張氏」

      私も同じです。
      先に日本海伝いに、と書きましたが、丹後国一宮・籠神社が関係してくるような気がしています。奉祭社家は、熱田社奉祭社家の尾張尾張国造家と同族の海部氏です。
      それから、伊豆山神社、私は何故か近江の佐久奈戸神社と同じご神気を感じます。主祭神は祓戸四柱神であり、中臣祓詞(大祓詞)発祥のお社です。

    • 翠榎 より:

      宇那比姫…数年前になりますがちょっと考察していた時期がありました。
      尾張氏、和邇氏、鴨氏、そして名草戸畔の後裔一族、さらさんご推察の通り、みな婚姻関係を結んでいたはずです。

  9. さら より:

    ジャン・レノさま

    お久しぶりです!ジャン・レノさんは「飛騨」にお詳しかったですよね。私も「飛騨」にも興味津々です!…でもなかなかたどり着けない(泣) きっとそのうち繋がっていくと思います!もう少しだと思います!
    私も「五十猛」はとっても気になっています。調べていると…いつも私の視界に入ってくるんです(笑)

    • ジャン・レノ より:

      さら様

      お久し振りです!
      実は半年間暮らした地・飛騨を離れ転地しております。旅人なもんで…♪ウフ。
      (〃^ー^〃)
      私が先日まで居た新穂高は旧上宝村といわれています。天照の出身地だとか…?
      五十猛尊が御祭神の「伊太祁曽神社」は暮らして居た場所から高山までにある丹生川、旗鉾地域に点在しています。私は結局それらの神社をほとんど周る事になりました。(旅人ですから…)
      でも周れば周るほど「太陽神」だよな…という気持ちが強まります。
      本当に飛騨はまだまだ謎めいていて魅惑的な地です!ご縁が出来て嬉しい‼
      私よりも皆さんの方がご存知でしょうが、「飛騨」という地名も「日抱」からきたとも言われていますね。

      そして転地先を選ぶ際に、実は今居る所とは全く違う地にしようと動いておりました。
      なのに何故か担当者が夏期休暇中が二度ほど続き、年齢制限も有り(笑)
      ( ̄▽ ̄;)メールのやり取りが上手くいかないなど思い出せば色々あったのです。
      そしてギリギリの「おぃおぃもうすぐ退去だぞ?!」って3日前位に急に話がトントン拍子に進み2日前に決定して来たのが
      乗鞍高原。
      そしてさらさん達のコメを見て思い出しました。
      そういえば古代飛騨人達は、伊太祁曽神社を祀った人達は、大元を乗鞍岳として拝した…という文を見ました。
      そしてスピ系ブログで16日満月の次の日から22日までに新しいゲートが開くらしいその時期に乗鞍岳にて御来光を観てくる予定です!
      結局、締めとして奥の院に来させられたのかしら?(^o^;)…という流れです。
      細かい事はよく分かりませんが、大変満足しています。(*´∀`*)ウヒ‼

      長々と失礼しました‼

  10. さら より:

    翠榎さま

    籠神社もそうです。「海部」…海の民。「尾張」を構成する人々が今回、弥彦神社を意識することでわかってきました。それを…私に知らせたかったのだろうと思います。その目でもう一度歴史を見直してほしいと思ったのではないでしょうか…。
    「真福寺」納得ですよ。聖徳太子と物部守屋の次男がここで重なりますね。どうしてでしょうね?…やはり飛鳥時代の出来事は見直さなければならないような気がします。
    「佐久奈度神社」の創建は669年。これは藤原鎌足が亡くなった年です。ここが大祓詞の発祥というのなら…大祓へはきっと藤原氏発展のためのものなのではないでしょうか…。
    …どうしても私の中では「尾張」は一度「終わり」になっている感じがするんです…。
    …以前に翠榎さんに教えていただいた「赤石」ですが、本当は翡翠…ということはないですか?あの時私はその赤石から日の丸に繋がったんですが…その「赤」には少し引っかかるものがあったんです。そして考えていたら…赤と緑は補色なんです。反対の色。赤の丸をしばらく見てから視線をはずすとそこには緑の丸が見えるはずです!本当は翡翠の丸だったのでは…と思ってしまったり!(笑)
    …それともそういうカラクリを考えて造られたとするなら…凄いな!と感嘆します^ ^

    • 翠榎 より:

      さらさん

      私は物心ついた小さな頃から緑色が大好きで、放っておくと身の回りすべて緑色のもので占めてしまうんですが、そんな私の属性は「火」なんですよ。つまり煌々と燃え上がる赤らしい。だからそれを補うため、フォローの為に本能的に緑色が好きなのかもしれません。
      「尾張は終わり」
      それと繋がるのかどうかは分かりませんが、尾張氏は熱田神宮、籠神社両座の他にもう一座、有名なお社の奉祭社家を務められておられました。それが大阪の住吉大社です。津守氏といいます。実は私の家も系図上はこの津守氏の血が入っています。
      この住吉大社、本当は赤石(明石)の住吉神社が元宮なんです。ういさんにはお話したのですが、伊都族(久米族/和邇氏、息長氏)と伊勢族(赤石族)とは、ともに航海氏族でもあり、互いに協力関係にある大変に近しい間柄の部族同士でした。尾張氏はそんな伊都族の分かれの一族です。つまりは、和邇氏の分岐氏族です(伊都之尾羽張/伊都=久米族・和邇氏)。
      これまでにも何度かお話して来ました、日本の国を二分する戦いであった大和(仁徳天皇)と久米(宇治天皇)の覇権戦争。この戦いで大和側が大勝し、宇治天皇側に味方した尾張氏と伊勢(赤石)族はその本拠地を追われることとなります。それで、以前もお話しましたように、伊勢族の宗像氏は、仲の良い久米族(伊都族)を頼って、久米族の元々の本拠地(故郷)である九州北部に移り住むことになったのです。
      一方、伊都之尾羽張こと尾張氏は、やはり赤石住吉神社を奉祭していた当時の本拠地を奪われ、大和に近い墨之江の地への移動を余儀なくされました。それが住吉大社になります。
      濃尾平野への移動はさらにそのあとのことになります。
      やがて、大和朝廷の東方進出への最前線領域に濃尾平野が組み込まれますと、そこに、尾張氏が守りを固めるために派遣されたのです。
      それが濃尾平野における尾張氏となります。そして国名も尾張国となります。

  11. さら より:

    ジャン・レノさま

    「乗鞍岳」…ええ、興味津々です。なぜか「桜」の感じがします!ここは「蔵王山」とも繋がるような感じです。ああ、もう少しなんです^^; 「尾張」のことがようやくわかってきて…その「尾張」は美濃や飛騨とも関わりが深いというので気になっています。
    「五十猛」が飛騨にも出てくるなんて!私が気になるところ、いつも顔を出しますね(笑) …それくらい、広い範囲に渡って影響力を持ってたんですよね。
    そうそう…住む場所ってあらかじめそうなっているというか…私がこれまでに住んできたところも、こうして歴史のことがわかってくると私に関する歴史と不思議に符合したりしているんです。ドキッとしました!まさにそこに住むことだったんですね!という感じなんです^^;
    きっとジャン・レノさんもそうだと思いますよ^ ^
    ゲートが開くってなんだろう!何が起こるんですか?…楽しみ!
    乗鞍岳から戻ってきたらその時のお話しぜひぜひ聞かせてください^ ^

    • ジャン・レノ より:

      住む所が……。
      おもしろいですね。私も自分が移り住んだ地が古代からのまだ知ることの出来ない真実で繋がっている気が致しておりまっす。ま、ヘッポコなんですが…。(笑)
      神秘ですな!
      O(≧∇≦)O
      それと、特別なゲートなのだとか。地球のエネルギー変換?次元上昇?とか言われてるのも関係あるのでしょう。今盛んだそうで。
      地球規模で転換期との事。
      人間も肉体的・霊的レベルで影響を受けてるとか。
      私は転職と転地!というかなり大きな変換が来てますがね‼
      (^_^;)
      ちなみに余談ですが、木彫りの天使を送ってくれと母に頼んだのに間違えて木彫りの「毘沙門天」が来ちゃいましたけど……??
      ( ̄▽ ̄;)
      どうして日本語通じないのかな?家の母…残念‼

      • さら より:

        ホント住むところって予め決まってるんだと思うくらい関係ある所にみなさん住んでいると思いますよ(私は引越しが多くいろんなところに住みましたが…全て関連していることがわかりました。びっくりです!)自分の先祖のことなど調べてみると面白いと思います。生まれた場所っていうのも…そこに生まれることになっていたのか、そこに生まれたからそういう流れになっているのか…それくらい関連していると思いました!歴史上の人物も皆そうなってる感じがします^ ^

        天使が毘沙門天に…というのも…お母さん素晴らしい!って思います(笑) というのも、私、昔いちど退行催眠を受けたことがあるんですけど…前世の私は「ナウシカ」だったんです(笑) 青い服着て腰に剣をつけて草原に立ってたんですけどね…。
        その時にそれは「大天使ミカエル」だって言われたんですけど…それから随分と経って…私の中では「不動明王」だって感じがしてきて…そしてまたしばらくして義経や謙信が毘沙門天を信仰していることを知った時に、なぜか「不動明王」と「毘沙門天」は似てるって思ったことがあって…だから…きっとジャン・レノさんのお母さんはちゃんとわかってらっしゃいますよ。間違いじゃないです(笑)^ ^
        そして私には「スサノオ」もそうなんですけどね…でも感じとして男ではないんです。女。でも中性の感じ。だから本当は「ミカエル」も「不動明王」も「毘沙門天」も女神なのでは?まさに「ナウシカ」なんです(笑) そういう慈愛と闘う強さを感じるんです。まさにあのストーリーの感じです。宮﨑駿さんもきっと同じこと受け取ってらっしゃたんじゃないかなぁと思ったことがありました^ ^
        …すみません長々と…変なこと言ってますよね(笑) ジャン・レノさんのお母さんのお話から思い出しました!妄想ですのでね!

  12. 翠榎 より:

    それから、尾張氏系の彌彦神社の鎮魂祭が中臣流で行わる理由も、この両氏の前身を考えますと至極道理に適ったことに思えます。
    天児屋鉄山、という製鉄コミュニティーがありました。この天児屋鉄山の内訳が、製鉄氏族であり以前もお話いたしました金屋子神(=天児屋根命)を祀る中臣氏と、伊都族(久米族)・和邇氏の分岐氏族である製剣氏族の尾張氏、そして大山積神を祀る鴨族(伊予族)なのでした。そしてこの製鉄コミュニティー・天児屋鉄山こそが、のちの物部連の原型になります。
    ・物=製鉄
    ・部=従事する者、ハラカラ
    ・連=連なり、連合

    つまり、「物部連」とは、「製鉄に従事する氏族の連合組織 」という意味になります。
    この物部連の前身である天児屋鉄山が、吉備の新羅人の襲撃を受けて、その本拠地を壊滅させられ、彼ら天児屋鉄山(を構成する中臣氏、和邇・尾張氏、鴨氏)は、瀬戸内側から出雲方面への移住を余儀なくされます。
    思うに、日本海側の籠神社、彌彦神社などの存在はその事と関係があるような気がいたします。
    そして、北方系氏族との融合、あるいは「封印パック」が恐らくそこに絡んでくる、そのように考えております。

  13. くう より:

    家内が、大山祇系統なので四国大三島に三年に一度程お参りにいき、近所にある大山祇にも頻繁にいきます。北部九州には
    数多くの大山祇があり、数では一番ではないでしょうか。
    以前に伝説として聞いたのですが、大山祇が亡くなるとき出雲には行かないと言い残したそうですが、何か確執があったのでしょうか。ご存じないですか。

    • 翠榎 より:

      くうさん

      はじめまして
      翠榎と申します。
      お尋ねの件ですが、
      私の知る限りで申し上げますならば、先にコメで書きましたこと、製鉄グループ・天児屋鉄山が、吉備の新羅人の攻撃を受けて出雲への移住を余儀なくされた事が思い浮かびます。
      これは以前にも旧ブログのコメ欄にて書かせていただいたことなのですが、
      出雲へ移住した中臣氏、鴨氏などの氏族は日本土着の縄文系の人たちでした。
      一方、中国山地を超えた出雲の地は、その民衆は北方系渡来人の人たちが多く住む地域だったのです。
      日本土着の人たちというのは死体を怖がらないという特徴がありました。製鉄コミュニティー・天児屋鉄山においても、鉱山発掘などで鉄が湧いて出なくなった時、かつて発掘の上手で亡くなった人の死体をおぶって周りを歩いたり、木に死体をくくりつけて拝んだりすると、不思議と再び鉄が湧いて来たりしたそうです。
      それで、上述しました経緯により、天児屋鉄山のコミュニティーの人たちは新羅人の攻撃を受けてコミュニティーを壊滅させられた事により、出雲へ移動してそこで新たに天児屋鉄山を再開するのですが、出雲に多い北方系渡来人は、この日本土着の天児屋鉄山の人たちの死体を怖がらなかったり、拝んだりする風習を大変気味悪がったそうです。
      移住してしばらくはろくに家屋も建てられないので、出雲の人たちはその軒先を貸してくれたりしたそうですが、天児屋鉄山の人たちが、今までの風習通り、死人が出てその死体を担いだり、軒先のすぐ手前に埋めたり、部屋に寝かせて一緒に寝ていたりすると、激怒されて追い出されたそうです。
      まあ、お互いの文化風習の違いによるカルチャーギャップですね。
      そこで縄文系・天児屋鉄山の人たちは「今まで親しくしていた人なのに死んだらむげにするとは情けない」と大変嘆いたそうです。
      やがて時が経ち、転機が訪れます。それでも出雲の地でなんとか歯を食いしばって頑張ってきた天児屋鉄山はやがて力を取り戻し、かつての旧領に戻るべく新羅人への反撃を開始し、遂にはその制圧を果たし、故郷への帰還に成功します。
      ご指摘の大山祇神様を祀る方たち、つまりは鴨族のことですが、彼らの間で、そんな出雲時代の憂き思い出が長い間伝承として語り告げられてきたものなのではないでしょうか。
      お話をお伺いする限り、私にはそう感じられました。

  14. jimi より:

    尾張は終わり フット降りてきたのですが
    終わりは尾張 もしくは 尾張で終わりなのかもって

    国のごたごた 経済のごたごたという 国家レベルのごたごたは
    最後に尾張が出てきて 終息に向かうという

    源平の頼朝(母熱田の神官の娘)戦国時代の信長 秀吉 家康と
    ま、かなりのこじつけですが ははは

    尾張そのものでなくても血が入ってたりかかわりが深いとか

    まあ たまたまかもですが そんな気が

  15. くう より:

    翠榎さん、はじめまして。
    早速のご回答ありがとうございました。
    そんな経緯があったのですね。
    伝承として残ったのでしょうね。
    ありがとうございました。

  16. さら より:

    天児屋鉄山のことは…正直よくわからないんです(泣) 瀬戸内海のあたりは縁がなくて、土地勘もないからなのでしょうか…行ってみれば何か思い浮かぶのかもしれないですけどね…。
    「終わり」というのは…建国の時なのかな…裏切り?などがあって…最終的に祀られてる感じがするんです…。
    でももうここからは妄想ではなく、文献などあたってちゃんと調べて行った方がいいですね^ ^
    いろいろ収穫アリでした!
    ありがとうございました。