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願いを叶えるコツや神様へのお願いの仕方

初詣行ってきました 皆さんいろいろお願いされてるようで

結構真剣に長い時間お願いされてる女性がいまして ああ、叶わんなと ははは

本当に叶うかどうかはわからんけど 叶わんなと思っちゃったわけ

なぜかというと困りますが

必死に祈らないと叶わないという前提条件で祈ってるからといいますか

もっと信頼すればいいじゃん 神様を

一般論になりますが 必死に祈ってもさらっと祈っても叶う時は叶うし

叶わんことはかなわん そんだけの話でして はい

聖天信仰の極意ではないですが 叶うことも叶わないことも聖天様の思し召しという

その境地が信仰の極意なんだとね

思ったりするわけ ま、人間だからそれでもかなえたい というのはありますが

でも無理なものは無理 何でもかんでも叶うということって絶対あり得ないですから

はい

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叶わない場合は さてそれがかなわないんだけど どう生きていきましょ?

これが大事なんだと思います

それでも と必死になっちゃいますが 無理なものはむりという

それでも幸せに生きていきます これが本当は大事なんだと はい

さて私の宗教論ですが 坊さんや宣教師さんやらたくさんいるじゃん?

今の時代そんなに必要か?

そっからなんですよね~ 正直昔ほど必要あるの?

そもそもなんで存在してるの?存在意義は?

というとこまで考えちゃったりで

伊勢白さんなんかは完全否定の現生利益ですが

結局信仰って 現生利益しかありえないんじゃないかとおもったり

現生での利益、死んで極楽浄土に~ や生れ変りを~

それらも全部ひっくるめての現生利益

それらを否定したら さて宗教、信仰って何のため?と思うわけ

神をあがめるのです 自然をあがめるのです さて何のため?

ただ生かしていただいてる感謝 さて何のため?

自然災害が起きない 幸せに難を避けて生活ができる それらだって現生利益

なんだよね~

それらの否定 しちゃったら 実は宗教って成り立たないんじゃないかと

肉親が死んで苦しまないように だってある意味の現生利益だし はい

さてそれらを一切否定したら 何を説きますか?

そもそも宗教者必要なんでしょうか?と思ったりなのです

学問もなんだって 基本現生を豊かにするためのものじゃん 科学だって医学だって

と思ったりおなのです はい

それで?といわれりゃ そんだけ ははは

ただね~ 願いを叶える方法~とかその手の書籍やブログなんか多いじゃん?

そこまで突っ込んで考えてる方の文章はやっぱ深いよね

こうすると神様とコンタクト取れます~どまりではなくて はい

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コメント

  1. いち読者 より:

    あの世の利益も現世利益とすると言語的に訳がわからなくなるので単純に利益でいいのでわ

  2. johnny99 より:

    今年は年が代わってすぐに初詣に行きました。
    子ども達に「住所、名前、生年月日。 去年の報告、自分の決意。 それから願い事。それも自分以外の。 その後にちょこっと自分の願い事を言うんだよ。」と教えました。
    自分もいつもより長かったけど、頭を上げて横を見たら、小さな背中を丸めて、まだ手を合わせている息子の姿が(^^;

    「あんまり欲をかいてお願いしても叶わんよ」と言っておきましたが、真夜中の背中丸めた息子の姿、かわいかったです(^^)

    オモチャはね、神様ムリ。

  3. jimi より:

    ま、たしかにわかりにくいですよね~ ただ死後阿弥陀様のもとに~
    とか極楽浄土に行くことを利益ととらえない方非常に多いので
    伊勢白さんも 死後の成仏を利益的にはとらえてない感じともとれるので
    死後の成仏のある種の利益信仰じゃんとね

    子供が無邪気におもちゃを神様に祈る いいですね~ 神様もうれしそうに見てそうですもん 

  4. アリリ より:

    ジミヘンさん、こんばんは。
    今年は、年明けすぐに、近所の神社に初詣に
    娘と行きました。
    住所、名前、生年月日は、必須。
    願い事一つ。
    小さな神社ですが、金神社があるので、激混みでした。
    名古屋城から、鬼門の位置にあります。
    神社に行くと、肩がスッキリするんですよね。

  5. いち読者 より:

    日本ではご利益信仰という言い方は良い意味では使われてない。
    現世のリターンでなくてもそれは要はご利益信仰なのだと納得すれば良いだけ。
    あの世や来世でリターンがあるのだとしてもそれが現世での心の支えとして作用するなら、それは現世利益の一種として認識するしかない。

  6. Mally より:

    神社やお寺に参拝する時、以前は心の中で名前や住所を言ってましたが、どこかで「神様は全てお見通しだから意味がない。むしろ神様の力を信じていない証拠。」というような記述を読んで勝手に納得して以来やめました。
    でもやっぱり言った方がいいんでしょうか。訪ねておいて名乗りもしないのは失礼な気もするし、お力を信じないことの方が失礼な気もするし・・・。

    最近はなるべく願い事はせず、感謝だけをお伝えしています。
    願いは沢山ありますが、 もし自分が神仏だったらもっと深刻な願い事を優先、でもひたすら「ありがとうございます」とだけ言われたらちょっと力貸してあげてもいいかなーという気になりそうだから・・・って結局そんな下心もお見通しですかね(笑)
    でも、つい願い事をしたくなる時と、とてもそんな気になれない、本当にただ感謝だけしたい時があります。「時」というより「場所」かもしれませんが。

  7. jimi より:

    いっても言わなくてもどっちでもいいと思いますよ
    神様ってそんなに 固くないといいますか おおらかなんじゃないかと

    自分がピンときたやり方で
    最低限のお作法やってれば 2れい2拍手~って
    あとはおすきに~でいいんじゃないかなあ

    どんなやり方したって叶う時は叶うし無理なものは無理ってだけですから

  8. Mally より:

    ジミヘンさん、お返事ありがとうございます!

    そうですね、自分がしっくりくるやり方でお参りします。
    神様や仏様は、きっと人間には計り知れない懐の深さをお持ちでしょうから。

    最近なぜか軽く「人酔い」するようになったのですが、都会の駅やデパートでは地味に気持ち悪くなるのに、同じ人ごみでもそこが神社だと何ともなくて、むしろスッキリするのが不思議です。
    先日、のどかな田舎から人だらけの都会へ出張した時、訪問先の氏神様とすぐ近くのお稲荷さんに参拝したら、帰りにまた人ごみを歩いたのに人酔いしませんでした。
    単なる気の持ちようかもしれませんが、これだけでも十分ご利益だと思います。