さて昨日の続きですが 新日吉神社の前の道で
かなり怪しい男を見かけたのです
前編は表ブログのどこかに
大学生風のイケてないバックパッカー風で
ケミカルウォッシュジーンズに Tシャツイン
精神的にちょっと弱そうな感じの顔つきで 頭は寝ぐせの
天パという
んんん???とちょっと思っちゃう感じのひょろっとして
背は178くらいありそうな痩せてる色白
同じ匂いの人物 どこかで見たことあります!!
と思ったら
旧ブログに書いた 大山神社でみた 天狗です
そう ふっと消えたあの人たちと同じ匂い!!
しかももっと驚くのがですね
その大学生風
1本歯の高下駄ですよ!!
こんなやつ!!
これを杖もつかずに ささかさ~と 颯爽と歩いてるんです!!
怪しいでしょ!!
どう考えても しかも結構歩道凸凹あるし
なので じーっと見てたらですね
なんとふっと消えたんです いやいや
暑さで頭おかしくないですよ!!
水分だってOS-1で取ってますから!!(嘘)
マジで目の前から消えたんです 数秒目を離したら
いないのです
曲道等なくて 見通し良い歩道なのに!!
あれ絶対天狗ですよ!!
そうとしか思えない
さて清水寺ですが なんと阿弖流為さんの慰霊碑があってびっくり!!
も一つ思ったのがですね
こんな感じで市内を一望できるじゃないですか!!
しかも手に取れそうな距離といいますか
案外まじかで これ今の今まで気づかなかったのですが
京都って市内(都)を見渡せる良い距離間の小高い山
結構あるんですよね
それでですね ようやく気付いたのが
この距離感で見渡せるポイントがいくつもあったから
風水的な街づくり等が発達したんだなって
例えば山から見下ろす街が遠かったり 山が高すぎたら
風水的に見るということが もっと重要視されなかったかも?
風水が身近に使える土地だったといいますか
街中からも 良い距離間と高さの山に囲まれてる
じゃないですか???
しかも山並みを見て雅を感じたり
河なんかも良い具合の流れと場所にあって
うっとりしちゃうみたいなさ
例えば名古屋なんかで生活してると 山を見て
風流を感じたり 河を眺めてうっとりってないんです
生活の中の 風流というものの中に入ってないんですね
山や水の流れ 風の流れなんかが
東西南北といいますか 方位を気にしないのです
街としての
したとしても起点が自宅とかになって
逆に京都って東西南北や方位案外普通に気にするというか
生活の中にあるかもと思って
基準が家ではなく 都の中心というものが意識の中に
あった都市なのかもですね
都の中心=天皇のおわします御所
御所から見てどっちの方角になにがあるみたいなさ
ふっと思ったのです
コメント
京都 天狗ときたら 鞍馬天狗 連想しました。
視た天狗さん 気の弱そうなには笑えますね。ジミさんとその時 波長が合って見えたのかもね。
いやな感じ全然 しないけど。
また 合ったらすごいよ⤴⤴よ
今度合ったら 話かけるべし☺
都の中心が生活の基準、そうですよね右京区と左京区は、「帝から見て右」が右京区ですし。
だから京都市内の地図を、文字の見易い方向から見ると(つまり上を北にして広げる)、自分の右手側に左京区、左手側に右京区がくるから「なんでやねん」と小学生の私は思った記憶があります。
天狗ってマッチョなイメージを勝手に抱いているのですが、一本歯の高下駄で歩き回れる体幹があるのに見た目メンタル弱そうって、そのギャップはなんなのよって感じですね。
「ここにこんなのいるはずない」が、天狗の成りすましを見破るヒントなのでしょうか。
(ってそもそも姿が私には視えないのでしょうが…。)
阿弖流為の慰霊碑、近年建てられたような気が。
御所=天照で北信妙見が効かないか凄く効くか両極端なのかなと何となく。
北信妙見は原始的な場所の方が似合うような気も。妄想です 笑
>ケミカルウォッシュジーンズに Tシャツイン
精神的にちょっと弱そうな感じの顔つきで 頭は寝ぐせの
天パという
全く関係ないですが
中居君のマー坊を思い出しました(笑)
阿弖流為慰霊碑 ピカピカですよ ははは 真新しい
ぐぐったら 平安遷都1200年で有志が建てたそうで
怪しい!! なぜ??しかも清水に??
有志って? もしかして霊的な何か感じる人が怨霊となってると感じて
都を見下ろせるこの地に??
じつは清水寺の霊感坊さん??とかね 考えすっぎっすね ははは
そういえば1本歯で歩き回れるって すごいですね あの辺坂多かったり
舗装されてても凸凹だったりするし
ますます怪しい 鞍馬辺りから230円払って バスでやってきたんですかね ははは
清水寺といえば坂上田村麻呂で、東北に結界を施した田村麿の地に東北から一矢報いたということなのか、それともアテルイと親しかった坂上田村麻呂にとりなしてくださいということでしょうか。
だんなのご先祖はアイヌの首長だったんですが、アテルイとモレがいたところより北で、二人が殺されてから、謀略にかかり朝廷方に攻め込まれて、とある「塚」は本当に骨がるいるいと出てきたそうです。
子孫は今は何とも思ってないけど、殺された人達の怒りははいまだに鎮まってないのではと思います。
現代の東北の災害が、田村麿の結界が東京を守っているから、東北に起こっているとしたら、術の世界では未だに鬼というか人外扱いかと思うと切ないです。
都の作りも 昔は御所が真ん中で天皇のお力で都のお守りや発展を~
だったのが だんだん御所の位置がずれて作られるようになったというのを
何かの研究で読んで
何となくなのですが そのあたりから 天皇家の血に権力を欲しがる
いろんな血を混ぜ始めたからなのかな~と思ったことがありました はい
ま、妄想です
東北は、当然、都から見て北ですよね、神社で田村麿が北斗の法を施したのは都を守るためであって、東北を守るためではないんですよね・・・
それは、都を守る力が天皇家になくなってきたことの裏返しというか、物理的にも術としても補う必要があったのかもしれないですね
古代は天皇家の人間が雨乞いとかも出来る術者でもあって、神泉苑とかで天皇が雨乞いしてたけど、時代が下って空海とか、陰陽師とかがするようになって
考えてみたら、空海も佐伯氏でアイヌの血も引くし、官僚の陰陽師になった氏族の人達も古くから日本にいた氏族なんですよね
ま、都の人間がすることは都を守ること 攻め込まれる危険のある地域は
つぶすことですから はい
空海ってアイヌの血なんですね!!今知りました
陰陽系やらは案外渡来系だったり まあいろんな説があるので正直分からんですが ははは
物部の子孫だったとか
殺したほうって(いじめも同じ)そんなことすっかり忘れてても
殺されたほうの恨みって なくならないですよね
何代か後でも お前たちの先祖はだれだれに殺されてと恨みって
受け継がれていきますから
その中には昔のことだしで済ませる代もあれば おのれ!!とめっちゃ怒る代もありですし
案外そういう怒りの代に 無念の先祖がその方を使って何とか怨み晴らさずに~
というのもありますしね
なるべく恨みを受けないように生きていきたいなと思ったりです
蘇我氏との戦で物部の一族がが奥州に逃げ込んだような気がして。それが後にマロ様の蝦夷征伐に繋がったのかもと思ったり。
私も物部は東北逃げてると感じるのです
関東以北といいますか
ま、当時の感覚でいえば 西に落ち延びるよりは
未開と思われてる東の方が 追ってから逃れれそうな感じあったでしょうな
東北の呪術って案外落ち延びた物部関係の影響もありそうですな
奥州で物部と修験が呪術で結びついた感じもして。近辺に白鳥神社が多数あって。日本武尊の白鳥伝説由来の。何となく大鳥大社に結びつくのかもと。大鳥連とも。
天神様の東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るなの歌も物部の歌っぽいですよね。