さて表ブログで興味深いコメントが
ちょっとお伺いしたいのですが、以前、武術家は呪術師となったときも強いと言うような事をJimiさま書いておられて
身内のことなのですが、武術家で合気道・少林寺・空手などなどの達人で禅坊主がいるのですが、その人は霊的なことには弱いらしくて、
すぐに被ったりするみたいなのですが、なんというか、インナーパワーはあっても、そういう人は対処法を知らないからでしょうか?
これですね 武術家だからみんな呪術師になったら強いということではないのです
武術と呪術の関連性なんかに気づいた人 もっと言うと気づいて応用として使える人が強いのです
例えば武術と呪術の身体操作であったり精神操作であったり
世界観であったり
そういうもので類似性って凄くあると思うのです
そこに気づいて且つ応用することができる方はそりゃあ強いです
普通の呪術の方より身体能力ももしかして精神面も圧倒的に強ければ
同じような土俵で似たような技術を持てば絶対強いでしょ?
そんな感じなんですよ
分かりやすく言うとレスリングの五輪クラスの選手が総合格闘技やったとするじゃないですか?
いきなりやったらそりゃ負けますわな(中には圧倒的身体能力で勝つ場合も)
ですがレスリングの身体操作や技術の中に総合で使える技術と類似性を見つけ応用すればですね
総合格闘技を同時期に始めた一般人より絶対強いでしょ?
そんな感じなのです はい
ま、わかるような分からんような話ですが
被らないように出したら 武術で得た何かを応用するのが一番良いのでは?と思いますね
うーん、やり方わからんな~でしたら 例えば気合一発で霊をえいや!!ととっちゃうみたいなね
それもただの気合の掛け声よりも例えば居合だったら霊を居合で切っちゃうような身体操作使ったり
格闘技でなく武術でしたら
本来精神といいますか 気といいますか 丹田といいますか
練れているはずですから
気合と気を一緒に使って且つ居合で一刀両断的な身振り手振りと
イメージ使っちゃうとか
少林寺や合気なんかでも応用できると思うのです
そこでどう応用するかとかどう武術を使うか
そこに気づくかどうか もっと言うとそれを意識できるかどうか
そこ大事だと思うのです はい
まずはその武道体験をどう霊的防御に取り入れるか
そこを意識からが早いのでは??
確か今月号の月間秘伝という雑誌が武術と瞑想という特集だった気が
武術、瞑想、霊的なものってつながると思ってるのです はい
例えば昔の気合術なんか霊に使ったらおとせるよね~みたいな感覚ありますしね
ま、私はできませんがあるレベルに達した方だったら
その先って武術も呪術も案外似てるものがある気がしております
コメント
ありがとうございます こちらを読ませてみます。
『月間秘伝』!! 怪しい名前でいいですね
武術あれだけできるのに街中に出かけたら被るっていうのが不思議でしょうがなかったんです。
外見も坊主だけど、どう見てもヤクザの親分に見えるのに、どうして外で被るかなあって。気でバリアーはれば一発なのにって
やっぱり坊主だから、供養を先に考えて気を使って蹴散らすとか考えてないのかもです。
禅宗は教義も何もないのですが、出る場所に禅坊主が集団で座禅を組んだらでなくなったとか、最後に「喝ーーー!!」とやったらそれこそ妄執を蹴散らせそうなんですけどねぇ。
その人の気の向きがどうも内向している感じがして、内側で封印して、外に出してバリアーを貼るとか知らないんじゃないかと。
内丹法とかも知ってて親戚に丹の練り方を教えてたから、気でバリアー貼れないはずはないから、外に出すと「切って」しまうと考えて、出さないようにしてるから被りまくりなのかしらんと。
で、外で被って道場に帰って来ては、道場に祀ってある神様に祓ってもらったとか言ってるので、わけわからないなあと。
武術もできれば相手を傷つけず護身中心でかわすというか、やはり兇器にもなるので最終手段で最後の最後にならないと外気は発しない感じなんです。
昔、自分はふざけて投げ飛ばされて空手でとどめを刺されて「押忍。合掌」なんてされて遊んでいたんですけど
多分その人は気を周りにあまり発散させないので、そのままだと気でバリアーは全然貼られてないみたいです。
私なんかは弱くても金縛りにあったときは、身体とともに気合いでイメージで気でも蹴飛ばして、それ以来金縛りにあわなくなりました。
街中で気合いをみなぎらしてると、変なのにからまれるかもしれないですが、内向し過ぎると、被りまくりなのかもと
もうちょっと「気」を外に発散するように言っておきます。
ありがとうございました。
月間「秘伝」って、怪しく聞こえますね確かに。
中身は真っ当ですよ〜ロシアのミハイルが来日したときは
しっかりした取材をしてシステマの特集組んでましたし。
武術って原初は絶対殺すための技術ですよね、で武道になると。お書きになられる陰陽と同じですね 笑
武術の型って世界観なのかもと思ったりで。相手を型で世界感に引き込みヤルみたいな。
型って空気感を身につけるものなのかもと。
合気も頭動かず、なるほどと思いました。
月間秘伝めっちゃ真っ当でまじめな雑誌ですよ
私の好きなゆる高岡やバキ平さんも連載持ってって
ただ大宮先生の霊術とかはどうかと思ったりもですが
どうなのですかね?大宮先生の霊術って
武術って元は人殺しの術っすよね~
ただ術として体系化した頃は人殺しの時代ではなく太平の世だったのかも?
基本は刀を持った身体操作が前提だと思うので
やはりいかに動いてないように見せて 知らずのうちに間合いを詰めるが最優先の
技術かも?と思ってます
刀なので力をよりもいかに先に相手にあてるか
それが優先なきが 触れれば切れるから
確かに太平の世に術になりもっと平和な世に道にでしょうね〜。
原初の空手も目付き、金的などの急所やるのをひたすら練習してたという説もありますよね。一回戦った相手とは二度とやらない前提で。試合は死合いだったのかもと。言葉遊びっぽいですが 笑
和の身体操作、草鞋、足半、足袋などの履物が大事だったのかもと思ったりで、裸足ではなく。
武術は人を殺す術です。
私が若かりし頃かじってました古流柔術(を元にご宗家がいろいろと手を加えてました…ジミヘンさま言う所の「その人の代からの」というものかもしれません、術から道にしようと研究されておいででした)
それの中に、投げ技の途中で一つ仕掛ける、というのがありました。
投げられてる最中に、相手を倒す仕掛けもあるのですが、それを封じるために投げ技の中に仕掛ける手があるのです。
これは完全に相手を封じる、まさに殺す手です。30年近く前に説明を聞いたのみで実演は見ていません。今の修練生たちはそんな手があることすら知らないと思います。
古流というのは、本気の殺し合いの雰囲気を残しているのだなあと感じる手でしたよ。
平たく言えば付加価値を出すために道になるわけでしょ
平和なときは殺すんでなく精神修養するしかないのだから
戦場殺戮ではただの副装備で使い捨ての代物の刀を
日常平和では主体化し武士の魂とか言い出す。
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