さて表ブログのコメで 奥山佳恵ダウン症の子供を普通学級にとありましたが
う~ん、あの唯一のヒット曲がお菓子の城(犬山の)だった佳恵がか~と思ってたら
そりゃエンクミだよ!!
決断ですが これ奥山さんに限らずダウン症やその他障害持ってるお子さんのお母さんが凄く悩むじゃないですか
ほかにも家で看るのが厳しくなった親御さんを施設に預けるかどうかの選択とか
他の人にはわからない悩みや葛藤がとてもあって且つ
正解も不正解もないものって
私思うにですね そういうのって悩んで悩んで悩みぬいた末に出す結論は全部正しいと思うのです
そこは他人がとやかく言う必要なしで
例え選択した結果想像と違ってっても失敗だったかもと思っても
全部正しい選択
その時点で方向転換だってありだし だからあの時逆の選択しとけばと後悔もあるかもですが
多分逆の選択ってなかったんだと思うのです その時点では
なのでその選択があった末のまた選択というのは必要なことだと思います
人間選択に困ること多々あるじゃないですか
多分そういうのって選択した結果がどうなったが重要ではなく
その選択に対してどれだけ悩んで葛藤するかというのが大事なんだと思います
悩んでる間は物事が何も進展しないからまたあせるけど
もしかしたらその間に良い意味で熟成されて同じ選択をしてたとしても悩んで熟成して時間がたった分だけ良い結果になるかもですし
もしかして即決断したら介護施設の担当が嫌な奴になってた可能性だってありますし
なかなか結論が出せないような答えのない悩みって
もしかして悩んで悩んで熟成させるのが必要なのかもしれないですね
結果よりも大事なプロセスというのが世の中にはあるかもと思ったりで
あとですね
人様が悩んだ末に出した結論はあんま文句言わないほうがいいかもね~と
あからさまにその人に問題がある場合は別だけど
力士を殴ってけがさせたとか 隠ぺいして加害者側を悪者に仕立てよつとする場合なんかね
そうじゃない場合は文句ではなく何とかお役に立てる場合は
アドバイスはいいかもですが
否定というのはね
だって自分が逆の立場になったって 絶対の大正解の回答なんか見つけれないもん というか多分ないもん
その批判する人の今の立場から見て正解と思えることはあっても
それって結局当事者でなく高く安全なところから見下ろした正解ですから
私も気を付けまっす
コメント
むずかしい問題ってありますね。
身動き出来ないがんじがらめ状態 絡まる毛糸状態 どの道選んでも苦しい状態 などなど。
回りに相談しても 十人十色の回答 回答ならまだしも 批判的意見やら こうしなさい!という命令的意見やらで よけこんがらがって決断出来ない❗
一生懸命解決策考えてますが スッとまとまらなくて。
まだ 決断する時期ではないかもと
✨
子供が大事だから悩むんですよねぇ、無いかもしれない正解を求めて。
それにしても、世の中が浮かれるクリスマスイブの夜に、松本清張の「鬼畜」を放送するとは…まんまと観ちゃいましたよテレ朝。
明日の朝の子供の笑顔が、更に愛しいことでしょう。
高く安全なところから見下ろした正解…言われた側はきっついです。
私も努力だけでは解決できないどうしようもない問題に直面した時、周りの言葉が苦しかったです。言ってくれる人は良かれと思ってなので、なおさら困りました(>_<)
周りに自分のように悩んで苦しんでいる方がいたら、否定せず寄り添ってあげられたらなと思います。
自分の正解が他と比べることによって揺らぎます。
在宅介護を「本当なら施設に預けるのに」と何度言われたことか
貫くには自分を信じるしかありません。
奥山さん 頑張れ!
こっちかぁ・・・(笑)