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神様は強く念じれば願いを叶えてくれるか??そりゃ知らん

さて神社なんかでめっちゃ強く念じたり拝み倒されてる方いるじゃないですか

親の病気やらどうしてもという方だっているのでわからんでもない

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強く念じれば念じるほど助けてくれるなら私だって強く念じると思う

それはそれで意味があるかもしれない

でですね、私が思うのは

あんま強く念じる場合ってどうかいな?と思ったりもする

私は結構あっさりと

家でお像拝むのも拝み倒さない (もともと念は弱いので)

何となくですが、強く念じないと神様が動いてくれないと思うのって

実は神様を信用していないということにも通じてるのでは?と思ったり

あとですね、神様はお願いしたら何でもかなえてくれる便利な万能の魔法的に思ってるかも(思いたい)

そりゃあ私だってそう思いたいです。本当に困ってたら神様が私の思惑通りの働きしてほしいって

ですがそうじゃない気がします

多分神様は神様のお考えでなのかも

無理なものは無理 叶えてはいかん物はかなえない

そういう場合多々ありそう。

そこの判断基準は私ら人間には到底うかがい知れないけどあるのかも

宇宙の理というものに即してかもですし我々人間の宿命に即してかもですし

親が危ない!!子供は何とかしてほしい!!

例えば宿命的なものでこれが寿命であったりで、もうそこは変えられんのだわ~と神様が思っていたら多分どんなにお願いしても無理なのかも

ちなみに霊能者なんかでどんな願いもかなえますとかいう人って絶対怪しい!!

宿命や宇宙の理無視した発言で その方がそれらより偉大な存在であったり神様なんかがそういう法則を破らそうとは思わない(気がする)

ま、そのあたりは本当は誰にも分らんけどですが ははは

でですね前起きなのですが なが~い

さて本題 なんとなく拝み倒さないとかなえてくれないと思ってる方って本当の意味で神様信用してないんじゃないか?

それくらいしないと神様働いてくれないって

ま、わからんけどさ そのあたりは

私思うにですね 人間関係も対神様も大事なのって信頼関係なんじゃないかと思ったりなのです

信頼関係がないものはそりゃあ動かんてと

我々が神様を信用できなかったらあちらも我々を信頼しないかもしれないしもしかしたらそんなのは関係ないかもしれないけど

ただお互いの信頼関係がなかったとしても片道通行でもせめて我々だけでも神様を信頼したほうが良いのでは??とも思う

ですがこれは人それぞれの考えですので 私はねというお話

ま、そうはいってもなかなかその境地には達せれないのが現実

私だってそうだもん

親が死にますという時に神頼みしてですね

もう寿命という宿命なら受け入れますよという心境には中々ね

やっぱじたばたしちゃう

子供がいてもし障害があったらやっぱじたばたしちゃう、

それも人間ですから

ただですね 自然の理というのを少し知っとくとほんの少しは心境は変えられるかもしれない

人間は寿命があって泣き叫んでも死ぬときは死ぬものとかね

運命の範囲は変えれても宿命だったら受け入れるしかないとかね

もしかしてそういう古い教えや学問って行きやすくするための教材というより受け入れられないことを受け入れる心境を作るための

教材だったりもかも

ま、頭が悪い方なのでよくわかりませんが

都の東北バカだ~馬鹿だ~大学出身なので はい

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コメント

  1. お志乃 より:

    苦しいときの神頼み…その時だけすがってしまいます。
    だから、こんな身勝手を許してくれるわけないよねってすがりながら思っています。。。

    寿命を受け入れるって時間かかりますね
    延命措置は周りの人の気持ちの整理をする時間でもあるって以前ジミヘンさんが書いていましたが、本当にその通りだと思います。
    今、神様にお願いしたいのは
    母を苦しませないで下さい。
    妹を母がいなくなっても強く生きられるよう導いてください。

    身勝手ながらそう願っています。

  2. きなこ より:

    おはようございます☺
    関東 大雪降ってきましたね⛄

    さて 「初めに宿命ありき」をベースに
    おいて そこからどう 枝葉をつけて
    その人なりに 豊かに暮らせるか

    一人ひとり 決して同じ樹木ではありません

    背が高く太い樹木もあれば
    美しくて細い樹木もあり
    果実を実らせる木もあれば 花を咲かせるもの また 枝葉だけのものもあります。

    自然の摂理は変えられませんね。

    努力しても手に入らないものを 追い求めるよりも 手に入るものに目を向けて 彩ろどり豊かに生きてみようと 前向きに考えてみるのも 賢い選択かもしれませんね。

    わたしにも 病気の家族がいます。
    宿命だと思います。(わたしにとっても ) 今までの生活が破綻してしまい 前途悲観し
    生きていても仕方がない 努力も実らない 神仏も助けてくれないなど 。

    ただ 最近 ジミさんの記事を読みながら 宿命という事の意味をおぼろげながら わかってきたような気がします。

    病気である家族は まだ生きています。
    一般的な生活は出来ませんが 五感はしっかり機能しています。
    会話も出来ます
    いつまでの寿命かもわかりませんが なるべく明るい会話をしたり 人に会わせたり 今出来る最善な方法で 家族として一緒に穏やかな時間を過ごしたいと思っています。
    長文になり すみませんでした。

  3. jimi より:

    大雪で大喜び!!今日は振り込みやら事務処理で1日自宅仕事なので
    雪積もったら海岸を長靴はいて歩いてきます!!
    わくわくします

    そうなんすよ 結局宿命ってどんなにあがいても受け入れることからしか始まらんのですよね
    確かに受け入れずに寿命を終えるという生き方もできますが

    多分人生の充実度でいえば宿命を受け入れてどう生きるか
    そっちの方がかな~と

    運というよくわからん概念も まず宿命や現状を受け入れるから始めないと
    やってこない気がします

    運=人間と置き換えても 現状受け入れれない人のとこはあんま深くかかわりたくないと思いますから 記事にしまっす