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神田明神に金毘羅宮 さてどっちが怖い??

さて皆さん大好きな怨念の話

この国で有名な怨霊となったのって崇徳上皇と将門公と

道真公じゃないですか

さてその中で最も恐れられてると言えば ま、一概には言えませんが

現在でいうと将門公

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未だあのあたりの企業って神田明神にお尻向けた配置にしないとこもありますから

では当時でいうと誰といいますと 崇徳上皇

日本では怨霊となる定義らしきものがあり

身分の高いものが無念の死を遂げれば遂げるほど怨霊となるという

どちらかと言えば亡くなった側がなっていくというより

残ったものの恐怖心が作り上げていく側面が強い

さてこの方源平の争いでの代理戦ともいうべき保元の乱で負けてしまい

四国に島流し

その際かったのは後白河上皇

そこで無念の死を遂げます はい

この方島流しの地で呪詛とか必死で頑張ってるのです

でですね 当初はこの方の怨霊って怖れられてない気がしますが

死語1176年に後白河さんや摂関家が相次いで死んで延暦寺の強訴やら

鹿ケ谷の陰謀やら面倒な案件が次々と起き

こりゃマジ崇徳の呪いだわ やべ~となったわけ

ついでに明治天皇が即位して最初にやったのが四国に勅使だして

この方の怨霊を慰め白峰神社に祀るなのです

さて私が感じる崇徳さん この方呪詛が下手というか全く呪詛の知識なかったんじゃないっすか?

なので必死で祈るくらいのこと+くらいしか

そんな感じがするので実はこの方の怨霊という感じしないのです

なぜ下手か?

普通に天皇家や宮中の人間が直接呪詛をするということがなかったと思うのです

やるときは密教僧なり陰陽師なり専門家に丸投げ

専門知識はありませんでしょ?

でですね 島流しの時も当時の呪詛やらを信じてた時代なので

時の朝廷がこいつに呪詛を出来る人間つけたら絶対呪うぞ!!

位は百も承知なので

そういうたぐいの従者って絶対つけてないでしょうし

島流し先の四国でも そういった人物たちの交流って厳しく見張ったと思うのです 普通に考えると

そうすると結局自己流になっちゃう

そりゃ効かんね!!

多分時の朝廷もそんな意識だったから当初は全く無警戒だったと思います

さてではなぜにいろいろ立て続けに起きたか?

私的には実はたまたまが重なったと

後白河さんもなくなるくらいのお年でしたし摂関家以外にも

下級の貴族(崇徳院に関係しない)やらも普通に若く死んでる時代

そこに結び付けただけと思いますが

たまたま重なるというのも もっと深く考えると何らかの影響によって

となります

さてその影響は?というと私的には実は庶民の集合無意識が作り上げた

モンスターというか怨霊

それが発動したんじゃないかなと

先ほど書いた怨霊は身分が高ければ高いほど無念の死であればあるほど

じゃないですか

朝廷にしてみたらあいつ呪詛の知識もやる人間もおらんで大丈夫だわ

と名古屋弁で言ってたと思います おみゃーさんどうおもっとる?って

ただ庶民にしたらそんな事情も分からんし

あんな日本で一番えらい方が無念の死を遂げたんだから

怨霊にならんわけがないと

ま、庶民といってもみんながみんな知ってるわけじゃないけどさ

崇徳院の無念の死について

ということで怨霊のお話とか実は好きなので続く

ちなみに天神様は道真公の眷属の仕業かな~と思ってたり

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