さて私が常々思うことありまして 家康さんが天下を取れた理由なんですが
ま、色々ありますが 関ケ原に勝ったということがなのです が
ああ、小早川さんを裏切らせれたからねと言われがちですが
私的には秀吉が生きていたら絶対に味方にならなかった福島正則と
黒田長政を味方に出来たことなんですよね
これ2年前には絶対あり得ないこと
秀吉の片腕、軍師官兵衛の息子と 秀吉の息子ともいえる子飼いの大物
福島、清正ですよ!!
これ私のリーディングですと実は秀吉がヒント与えた感がある
秀吉さんってわきが甘いというかサービス精神おおせいなとこあるのです
今でいう森喜朗のように ははは
当然私の天下は盤石打でという絶対的自信があるのでそこまでサービスしちゃうという
難攻不落の大阪城築いたときも家康にこの大阪城お前だったらどう落とす?
と聞いて 俺だったら包囲してさ~とかって教えたわけじゃん
これですね 小田原の陣の時も教えてると感じるのです
家康さんって当時野戦では日本一と謳われるくらいの武将でしたが
城攻めは苦手じゃん
それで小田原の陣の時城を包囲して持久戦に持ち込んだ時に
これだけ難攻不落の城もこうやって包囲しちゃえば落ちるぞ
大事なのは包囲することではなく 味方の食糧や武器の補給なんだぞ!!
絶対言ってるのです
秀吉には戦国一優秀な官吏石田三成というある種の天才がいましたが
田舎者の三河出の家康には数字に強い人間がいないのです はい
でですね 家康ってそういうのを学習する能力が高かったのです
後に家康の片腕となる優秀な官吏本田正信やら他にも優秀な人材登用したりなのです 逆に武断派の筆頭のような本多忠勝さんなんかを冷遇したり
さてお喋り秀吉さん 天下を取ったのちに家康にわしがどうやって天下を取ったと思う?というからくりを話してるんです 私の感覚では
信長死後でいえばいくら光秀を討ち取ったといっても格から言えば柴田勝家さんなんです
しかも信長の妹お市さんの旦那ですし はい
そこをどうひっくり返したかといいますと 丹羽長秀や池田恒興という
キーになる武将を取り込んだから
ちなみに秀吉さんの懐柔方法って人たらしな部分と欲を上手に使ってますな
褒め殺して膨大な領地を目の前にぶら下げ天下人となってからは
その裏では脅すという
なかなか恐ろしい男です はい
さてその秀吉さん 家康以外で最も警戒した男は?と言われれば
むろん黒田官兵衛なんです はい
ま、関ヶ原の勝利の一番の殊勲はと聞かれたらじつは官兵衛の息子と
福島さんなんだよね~だったりで
ちなみに秀吉さん晩年最も信頼したのが槍の又座の前田利家さん
この方秀吉と幼馴染で律義者だから裏切らないとイメージですが
(完全に坂口征二に対する銀行筋の人物評と同じ)
実は裏切らなかった理由って賤ケ岳の合戦で家康に敵対しちゃったことへの負い目でもあるんですよね
なので裏切れないと
ちなみに関ヶ原の合戦時に存命で参加してほしかった武将に森長可さんがいまして 鬼武蔵と言われる強い人
この人が裏切って家康についた福島正則と戦うとこ見たかったな
東西軍を代表する武闘派の戦いわくわくします ちなみに森蘭丸のお兄さんです
コメント
秀吉さん、絶対に言ってそうですね~
自慢げに嬉しそうに…
関ケ原の戦いまで、その実、家康は結構不利な立場にあったと思うので
やはり、時代の意思に求められた方だったのでしょうね
黒田官兵衛は、劉邦にとっての韓信にはなりたくなかったのかな…なんて思います
(立場的には張良だけど)
ま、絶対韓信にならないように気を付けてましたよ 多分中国の古典くらいの知識は持ってたと思いますし
関ヶ原の小早川を動かす瞬間まで家康は圧倒的不利だったと思います
あとから歴史って振り返るから盤石で望んだと思いがちですが
どう考えても勝てる戦ではなかったはずですよ
100歩譲って関ケ原で勝ったとしても 三成が大阪城に籠って秀頼公を担いで籠城されるだろうなと思ってたんだと
そうすると大義は向こうにあるし 天下人になってない自分が難攻不落の大阪城はおとせないし 仮に取り囲んでもいつ豊臣恩顧の大名が寝返るか 東国の情勢も不安だし~
早々に和睦にもっていかなければと思ってたはずです 条件も5分5分かな~
記事にしまっす