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生きて神になろうとした信長と死後神となった家康

さて信長さんは生前神という新たな権力の象徴となって天皇を超えて

日本の真の統治者を目指したと書きましたが

も一つ何故そうしたか?

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やはり一向一揆に対するというのもあったと思うのです

一向宗の死んだら即阿弥陀の元に行ける

これめっちゃ怖いじゃないですか?もう生きていくという生への執着よりも

ある意味死んで即極楽浄土に行けるという方を望む

死を恐れずに戦うわけですから

死兵ほど怖いものはない

これを散々味わってたわけですから 信長さん

それこそ弟や有力な家臣まで失って自分も人生でもっともなピンチな状態

作られて

阿弥陀が死後の成仏ならわしは現生利益をお前たちに与えるぞ

どっちが良い?

凄い発想っすよね~ 今生きてても大教団作れそう!!

さて信長を見てきた秀吉と家康

秀吉の政策ってほぼ信長の真似じゃないですか?実は

文献には残ってなですが 大阪城だって信長は最終的に安土の次は

大阪を本拠にしようとしてたと思いますし 大阪城の図面や構想って

信長が作らせてたと思う

なぜなら信長死後2年で築城始めれるわけないじゃん

ゼロからだったら しかも死後すぐに天下人になったわけではないですし

さてその家康や秀吉さん なぜ信長を参考に また反面教師としていた方々が

生きてる間に神(もしくは新たな権力の象徴)となり日本を統治しようとせずに

死後神や権現となったか?不思議じゃないですか??

え??全く??

めっちゃびっくり

実は聡明な私は中学生のころからめっちゃ不思議だったのです!!

たしかにさあ 家康さん江戸幕府を250年も続かせる基礎を作ったけど

結局は天皇から征夷大将軍を任命されその仕組みの中で日本を統治したわけでしょ

一応天皇や朝廷に対し禁中並び公家諸法度という法律作ってがんじがらめにするというリスクマネジメントしたけど

それプラス仮に江戸幕府が倒されるときは薩長やらが天皇を担いで

倒幕するだろうから

御三家の水戸藩だけは勤皇(天皇万歳)となって仮に幕府が倒されても

水戸藩だけは残って徳川の血が絶えないようにとしてましたが

その為に水戸からは将軍は出すなと言われてましたが

結局最後の将軍が水戸藩出身だったり

その水戸藩が独自に研究したこの国の主権者は将軍でなく天皇

そのイデオロギー(いわゆる水戸学)が幕府を倒すイデオロギーとなったという

歴史って時に残酷で滑稽なのです

ということがあって

家康ってあそこまでリスクマネジメントの達人なんだから

だったら生きてる間に神になって天皇の代わりに日本の主権者になりゃいいじゃんと思ってたのです

死して神となって幕府を守るよりも生きて神となって天皇を超えてしまえば

倒幕のイデオロギーだって作れなかったんだからさ~って

ではなぜそうしなかったのか

其処には深い理由があったのです 信長さんの死を見て改めて実感したのです

とジミヘンリーディングでは家康も秀吉も言っております!!

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