さて徳川家康さんさ とその前に
信長、秀吉、家康という3人の天下人ですが
私のリーディングだとかなり違うのです
何がというと行動の根本である大義というものが
信長の大義は民衆に対しての大義と感じなのです
大量虐殺等非情なイメージですが この方の大義は天下を統一して
民衆のための国家というのがあったのだと
その為の天下取り そしてそこに至る方法は問わずで
なのでこの方の政策って民衆にとってはありがたいことばかり
例えば滋賀辺りから京都に行くまでに 寺社やらが勝手に通行税とってですね
その数が30近くもあったり
業者なんかが今でいう独占禁止法に抵触しまくってって 物価をめっちゃ押し上げてたり
民にとっての悪しき慣習を徹底的に取り除いて行ったじゃないですか
京都に入った時は1銭斬りといって1円でも盗んだら首チョンぱしますという
法を整備し治安維持に努めたり
未来からやってきた男なので近代的な人権を重視した国家づくりが大義だったかと
生きていたら中国にも進出したでしょうが これも今でいうとこの貿易の拠点を作って貿易黒字を~の発想でしょうし はい
さて秀吉さん 実はこの方には国家プランや大義というものはなかったと思います
全て信長公の猿真似で
この方のばあいは政治理念うんぬんよりもいまでいうとこの内閣支持率を上げるであったり選挙に勝つためにの人気取り
世間からの支持をいかに集めるかだったのだと
それが結局派手好みで世間の耳目を集め人気を取る
だったとかんじます ま、其の甲斐あって太閤さん人気未だ絶大ですから
では家康さん
この方の大義ってやはり中国的といいますか
天に対してといいますか 自分はこれだけのすばらしい大義があるのだから
けのこの国の統治者となる権利がある
そんな感覚なのです
ま、第二の光秀や自分のように主君を倒してしまおうという人間を作らないために朱子学という学問を導入し 学問(思想)で国を統治しようとした博識ですから
ちなみにこの方戦国屈指の読書家と言われておりますが
実はそれらって人質時代の今川家で養われたと感じます
人質で悲惨な目のイメージですが 多分そんなことなかったと感じます
人質ではあるが将来は家老になって今川家を支える人材
そんな感じで高度な教育を与えてたと感じます はい
他家であれば文化水準が低かったでしょうが 文化度の高い今川家に人質
というのはこの方にとって本当にラッキーだったと感じます
織田家じゃなくてよかったねと
家康さんってめっちゃ執念深いじゃん 長男信康を斬る羽目になった時
家老の酒井さんは信長に言い訳しなかったのですが
後年酒井さんが息子の領地が少ないことを家康に愚痴ったら何十年前のこの事件を持ち出しお前でも息子がかわいいかといったり
今川の人質時代家康をいじめてた人間を後年探し出して処刑したり
逆に助けてくれてた人物は褒美上げたりと
水に流せない方なのですが 実は今川氏に対して恨みやらあんま持ってないっすよね~
その証拠に晩年今川氏の本領だった駿河で隠居してたりで
もし嫌な思いでしかなかったら絶対駿府になんか住まない男だったと思うのです はい
コメント
信長が存命だったなら、世界初の民主国家の実現もあったかも…ですね
家康にとっての今川時代は、ジミヘンさんのおっしゃる通り、良かったんだと思います
今年は義元公の生誕500年記念で、静岡でいろいろあるようです
今川義元、本来はとても優れたお方のはずです!!!
お歯黒愚鈍なイメージが定着していて、残念です
民主主義社会はないですな~ ははは
民衆以前に家臣での民主主義もないっすね~
なぜなら彼らには政治理念やこういう国でありたいというもの明確には描けてなかったからだと思うのです
戦がないと食べるに困らない程度の認識しか そうなると国家の姿というものを描けないので
義元公はですね 絶対名君ですよ~ 軍事面でも
当時のあのあたりって北条、上杉、武田という戦国屈指の名君たちと互角以上に
渡り合ってましたし 信長の父ちゃんもなかなかのじんぶつですが それも押しているのですから
桶狭間の敗戦がなかったら もしかして信玄,謙信以上の名君として語られてたんじゃないかと
多分信玄や謙信以上に版図を拡げたでしょうしもしかして毛利に匹敵するくらいの
日本で1,2を争う領土獲得したかもですし
それ以上に当時のどの藩よりも文化度は高く行政もしっかりした国家になってたんじゃないかと
私の中のおはぐろさんは かなりの評価です
義元公、桶狭間のイメージで過小評価ですよね〜。たらればで生きてたら義元公が天下取ったと思います。信玄公の親父軟禁して隠居させて信玄公、世に出したのも義元公ですし。恐るべしは信長公の天運でしょうか。天運、我に在りって信長公に凄く似合いますね 笑