さて信長さんがサイコパスだったかどうかですが
サイコの条件に美というものを実は愛してるのではなく道具として使うというものがと書きましたが
茶の湯にしても南蛮風の衣装にしても安土城にしても私この方は
権力の象徴として使ったと感じます
ただ美は別に愛してないが審美眼というものはあったんだと思います
私が感じるこの方って審美眼というよりもバランス感覚に優れた人物なのです
南蛮風の衣装もですね どう着れば素敵な着こなしか
安土城なんかもどんな外装にすれば もしくはどうライトアップすれば
みんなが驚くか ひれ伏すか
京都の馬揃えも同様になんです
逆に秀吉の場合は美を愛したいのだが圧倒的に審美眼とバランス感覚がない
ま、センスが悪い
しかも間の悪いことにこの方馬鹿でなく 逆に切れ者だけにそれを自分でも圧倒的に分かっているからコンプレックスに思う
そのセンスのなさやコンプレックスを見破るものの視線にとても敏感に分かってしまうというね
ま、利休さんなんかそうっすよね~
さてその信長さん 現代の学者さんたちにしたら完全にサイコ認定でしょうが
実は私が感じる信長さんはサイコというより白黒つけたい人
もっというとその先がどうなってるかを知りたい人なんじゃないかと感じるのです
例えば法華宗と浄土宗を宗論させた安土宗論
これなんか結構出来ゲームで法華宗を最初から負けさせる意図で
弾圧~と言われますが
私の感覚だと純粋にどっちが正しいんだ?そんな感じ
この方無宗論と言われますがとんでもない
実は本当に神はいるのか?真剣におもってたかたなんじゃないかな~
尾張時代に池の中の大蛇を探させたりしたじゃないっすか
しまいには自分が飛び込んで探したり
しまい多分そこを白黒つけたい人 長篠の戦なんかも鉄砲の集団運用が本当にできるのか
実用的なのかを知りたかったんじゃないかと
もっと言うとその先の世界 集団運用が実用化された先の戦というものを知りたかったんじゃないか
安土城で天皇を超える権威の象徴として本当に自分が生き神となって
新たな権威の象徴となれるか なった先のこの国というものを知りたかった
そんな人物な感じがします
サイコというよりもサイコの先の人物といいますか
もしかしたら我々が思ってるよりずーっと哲学的な人物だったかもと感じます
それこそこの世界というのはどこから産まれどこに向かっていくのか
とか神という存在は~的な哲学的思想の人物かもしれないですね~
本能寺で死ぬときもおのれ三成!という感覚はあんま感じないのです
無念さとかも
普通で言えば天下統一目の前で自分が新しい世を作れる立場にいての
非業の死じゃないですか どう考えても無念ですが
私の感じるこの方って 光秀で~すと報告があると
ああそうか 光秀だったら抜かりはないからまあ助からんな~
そんな感じ 特に諦めとか怒りもなくなんです
もしかしたら死んだらどうなるんかな~くらい思ってたのかもしれんですな
案外もしかしたら安土宗論で負けた法華宗の言うことは確かだったな~とか
一向一揆の浄土真宗の言う通り阿弥陀様がお迎えに来たな~とか
思ってたりですね
ちなみに私の中の信長さんって実は美人にそんな興味なしという感覚
秀吉さんと違って
この方実は正室も側室も容姿って伝わってないじゃないですか
あれだけの権力者なのに 秀吉の場合側室にした宇喜多秀家の母ちゃんはめっちゃ美人だったとか
伝わってるじゃないですか
例えば細川ガラシャさんや妹のお市さんは絶世の美女だったとか容姿って案外伝わってるものだけど
信長の女性関係は伝わってない ということは取り立てて美人でもブスでもなくあえて文章に残すほどでもないようなごく普通の容姿の
人物だったんでしょうね~
信長さんはおしゃれなイケメンなのに
コメント
光秀ですね。
そうそう、光秀です はづかしいので修正します~
大恥かきました バカとばれましたな