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織田信長はなぜ延暦寺を殺したのか

ちなみにタイトルはここ数年の最強のノンフィクション

木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのかからです

織田信長が嫌いな人って比叡山焼き討ち~とかっていうじゃないですか

今の歴史だと比叡山サイドばかりですが なぜ焼き討ちにしたか

風紀が乱れてた云々というよりも

日本という国の政治で考えた場合がんだったのです

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まず当時の寺社勢力って僧兵や死をも恐れぬ信徒さんによって巨大な

武力と政治にも介入する手も口も出す大権力だったのです

ちなみに信長の最大の敵って謙信や信玄ではなく本願寺ですから

平安の昔から朝廷がどうにもできないものが日枝と春日の強訴と言って

延暦寺と興福寺が僧兵連れて文句言いに来ることだったくらいなのです

まあ今でいうとこの総会屋が軍隊持ってるようなもの

しかも当時の寺社って最先端技術を輸入してきてそれを独占してたのです

油であったり ま、今のように独占禁止法がないので座という形で

専売にしてたのです

そりゃあ物価上げちゃいますよね~

も一つが関銭という今でいう交通料金

これもお国が決めてではなく巨大寺社が勝手に取ってたのです

淀川だけで300も勝手に交通税を

そりゃあ庶民の物価めっちゃ上がりますよね~ 政府としての経済政策の

最大の敵じゃないですか

ではなぜ信長以前はその巨悪な既得権を突っつかなかったのか

一つは寺社勢力とつながってた(今風に言うと賄賂)

もしくは当時の戦国大名に経済センスが全くなかったのでそこの問題を気づけなかった

もしくは巨大寺社に対しての武力で対抗できる力がなかったからなのです

ま、巨大寺社にしたら莫大な資金源

我々庶民にしたらインフレの原因でたまらんのです

さて信長さん、この方経済センスって日本史上屈指じゃないですか

徳川様が戦のない恒久の平和を目指したのって徳川のための恒久の平和だと思うのです

私の感覚で言うと信長公って織田のためのというよりも

実は庶民が暮らしやすい世界を作るための~じゃないかと感じるのです

ま、100パーセント庶民のためかというと信長の理想とする社会というのが

経済的に豊かな社会、その理想を手に入れるための天下取りと感じるのです

ある意味有史以来最大の夢想家ですが

行動力も伴った理想家とも

その証拠にこの方が治めた国ってどこも経済政策が素晴らしく庶民は暮らしやすかったんですよね~

治安維持もめっちゃすばらしいし

ま、信長公と寺社勢力が望む方向って結局真逆

寺社勢力は自分たちの既得権を伸ばしたいわけですから

そんな信長公が勢力を伸ばしていくとどうなるか

寺社勢力は自分たちの既得権、巨大な権益をうしなうのです

楽市楽座という座の廃止(今風に言えば独占禁止法)

関所の廃止(通行税の廃止)

教科書でさらっと書かれる信長の事業ですが

これってすごいことなのです 強大な武力を持った寺社の

既得権を奪うこと

すなわち自社の経済力をそぐことですから そりゃあ寺社にしたら

徹底抗戦しますわな

ということで続く

ちなみに家康公の取った政策もすごいのです

いやいや 家康公は恐ろしいほどの男です

ちなみにそのあたりの政策の重要性って太閤様にはピンとこないのです

残念ながら政治の感性は

お二人に相当劣るのです そのあたりも豊臣政権が短命に終わった理由かもと

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コメント

  1. 尾張伸英 より:

    信長さんって偉大だったんですね。改めて思います。ジミヘンさんの話しに出てくる、見えない存在が支援されていたのかもされませんけど、見えない存在も、お役御免にする時は残酷な事をするなって思います。信長さんの最期はかなりかわいそう。

  2. jimi より:

    信長さんはですね 金やん(天皇)、藤王(逮捕)ともに享栄高校
    と並ぶ名古屋の3大偉大な漢ですから

    次点で川島なお美ちゃん(漫画道場所属)とデンジャー松永(ステーキ屋)になります
    私の統計による名古屋偉人度ランキングでは
    木下藤吉郎(サル山所属)は61位、舘ひろし(舘医院)は87位、
    彦野(チームドラゴン)は26位です

  3. jimi より:

    以下山崎(ジャイアン)322位、矢野きよ美(内縁薬物)62位、
    宮地(暴力)48位、木俣(マサカリ)440位、松下(巨大)88位
    佐藤(ライザップ)圏外、山田(イエローキャブ所属)998位と続きます

    ちなみに世界のイチローさん(チチロージム脱退)は豊山町なのでランク外

  4. ボトルパーム より:

    奈良のあちこちの大きなお寺でお坊さんのお話を聞く機会があると、たいてい「昔はもっともっと広かった、あそこの通りからさらにあの町のどこそこまで全部お寺のもので、お堂もたくさんありました」というお話になります。ぱっと思い出しても興福寺、喜光寺、西大寺…大勢力をほこっていたのでしょうね。

    興福寺の中金堂が落慶した時の記念講話では「多いときは4千人の僧侶がいました」と聞かされてへえ~ボタン連打の気分でした(←古い?)。きっと兵力も大きかったでしょう。
    僧兵が春日大社の御神木担いで強訴すると都の貴族も震え上がったそうです。

    「今は何人いると思います?」と聞かれて「ええ~30人くらいかなあ」なんて思っていたら
    「正式に興福寺にいる僧侶は7人です」ですって(そのうちお一人はヨーロッパの方です、余談)。
    あの広さで、たった7人とは。

    兵どもがゆめのあと、じゃないですが、昨日も東金堂の畳ベンチにすわって境内を眺めながら「昔たくさんの僧兵がここを歩いてたんだなあ」などと夢想していたのでした(笑)。

  5. jimi より:

    興福寺7人ですか ま、某大寺院で本山も経営厳しいそうですし
    有名な大寺院も真宗のように多くの檀家さんと末寺もってないと収入減が
    観光~くらいで 厳しいでしょうね
    その代わり重要文化財や国宝クラスのものがたくさんあったり

    建物等の維持費も莫大だったりで まあ普通に考えて境内でコンサートやるような大寺院ってやはり経営が厳しいと思います

    多分〇〇展とか頻繁にするとこも 現金収入の道の苦肉の策でしょうな

    私なんかにするとそれって結局点でしかないので 線につながんないからな~と思うのです はい
    線につながる収入確保考えていかないと大寺院といえども先細りです
    ま、寺領ありきの経営が長かったから経営せんすはないでしょうな~ どこの大寺院も