さて旧ブログに何度か書いたのですが 我が家民間の陰陽というのを
やっていまして
陰陽といってもどっちかといえば反土御門(安倍晴明さんのとこ)
だったりでして
何故かといいますと江戸の終わり~明治の頭くらいに土御門家が
全国の陰陽なんかやってるとこを1元支配しようとしてですね
早い話が免許を与えるけどそのかわりこれとこれはやっちゃダメ
そんな感じで
その禁止リストに鳴弦といって弓の弦を鳴らして魔を追っ払うことと
三河万歳なんかで有名な万歳なんかもだめよ~とあったそうで
そりゃあうちでは無理ということで お断り~だったのです
ので正確には陰陽とは名乗れないというね ははは
ちなみに確か鐘や何かも叩いちゃダメ~とかって言ってたような
ま、子供の頃に聞いたお話ですので正直記憶は定かでは
鐘といってもおてらのああいうのではなく 手にもって打ち鳴らす感じのやつで
どう使ったかといいますと 引っ越しや家の祓いなんかでカンカンカンと鳴らして魔を追い払ってたそうです はい
これは昔親戚の家が引っ越しか建て替えの時やってたのを見た覚えがあるかな~
ちなみに万歳は お正月に三河万歳(たしか)の人呼んでやるんですな
今思えば招福や土地の鎮めなんかで
さて我が家蛇というのを代々使ってまして
式神としての霊体の蛇も使えば実は本物の蛇も使っていたりで
そのおかげで子孫のわたくしは毎日毎日体がしんどくて日常生活にも
支障が出まくり
本物の蛇は当然呪詛で使っていたそうで 使い方はですね
蟲毒+埋め物のミクスチャー
ちょっと生々しいので自主規制です はい
いつのころまでそれやってたんでしょうな~
イメージとしては江戸期くらいまででやめといてくれよ!!と思いますがなんとなく昭和の戦争終わるくらいまでやってそう ははは
もしくは山の中だから30年代くらいまでやってたかもね??
ちなみにその呪術をやってたので
源頼朝公が橋の完成お披露目で馬から落っこちてそれがもとで死んじゃったというお話
それ完全に陰陽師がしかけた呪詛だわ!!となのです
はい
ま、発想で言うとですね 地雷を仕掛け説くような感じなのです
ちびっ子のころは祖母なんかの田舎に行って夜爺さん連中にお酒が回ると
結構この手の物騒な話が出てたものです
あとはよく話が出てたのが 千里眼というお話で
先祖なんかは結構使っていたそうで どう使うかというと
戦の時にこれで相手の陣形(というよりどこに伏兵がいるか)を
見てたんだぞ~とさも見てきたかのような話をしてました
今思えばおまえ450歳か?と突っ込みたいですが
ろくろっくびのように首をびよーんと伸ばして上空から眺めるような
感覚でだそうで
今風の対脱な感覚じゃないそうです
南方熊楠さんなんかも 山の中で粘菌を探すときって
首をびよーんと伸ばして~的な千里眼的な感覚で~って言ってましたもんね
ちなみに私その感覚って実はわかるのです
ああ、こんな感覚ねと ま、出来っこないですが ははは
コメント
ジミヘンさん
こんばんは^ ^
過去記事で、見ておられないかもしれませんが、、、
父方が南朝方の我が家。
熊野です。
村の神社がありまして。
その神社、昔は、我が先祖、〇〇家しか弓を引く神事があったらしいです。
その際に、一週間、烏帽子を被り、弓を引く神事?があり?
神社に泊まって弓を引く儀式を御先祖さまはしたそうです。
小学校を休んで、亡き祖父も参加したとか。
魔を祓ってたんですかね。
そなへんのスピリチュアルスポットより、よほど大事だと思いました。
弓の記事を思い出して、気になりました。
ジミヘンさんのおかげで、歴史のパズルが埋まるので楽しいです。
ありがとうございます
弓をびよよよよーんと鳴らすのは鳴弦といって陰陽道では魔を払うに使ってました
ちなみに土佐のいざなぎでは魔を祓うさい実際に弓を108本かそこら射るそうで
それ聞いたときはさすがにビックらこきました!!
ここ10年くらいで言い始めたようなパワスポなんかよりも
実際に南北朝なら800年、900年近く続けられてる神事のほうが大事に決まってるじゃん
場というのが出来上がってますもん その時間をかけて
ちなみに当然わが家系もかなりな黒歴史なので
ブログにかけないようなことが伝わってます イメージダウンになるので内緒ですが
えぐいな~と
お返事ありがとうございます。
少なくとも江戸時代から400年の歴史はあるそうです。
今度の例大祭には参加しようと思います。
亡くなった祖父も、そのまた祖母から聞いていたようです。
御先祖さまは、熊野水軍だったみたいなんで、陰陽とか関係あったら面白いかもしれませんね。
ジミヘンさんの歴史シリーズ楽しみにしています。
ありがとうございました。