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坂本龍馬は昭憲皇后の枕もとに立ったのか⁇

幕末の英雄坂本龍馬、以前天から遣わされてきた人物と書きましたが

そんな人物でも人間界で生を受けてるので

どんな人間たちに育てられたかで変わったと思うのです

この方視てて思うのが、

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実はこの方の周りの人物の配置まで天が行ったんじゃないかとさえ思うのです

よき人たちに思い切り愛されて生きていき死んでいったじゃないですか

幼き頃から乙女姐さんをはじめとする坂本家の人々から愛され

大人になってからは、あの嫌味好きで偏屈な勝海舟にまで愛され

ですから

ちなみに坂本龍馬は周りの女性たちに育てられたような人物

女性の愛情によって大きな器量を育まれた感じがしますね

しかも犠牲の上に成り立つくらいの

それこそ乙女さん以外でも

その上の姉の栄さん、龍馬が脱藩しそうと家族が警戒し、刀を隠していたのですが

脱藩時に家宝の名刀を龍馬にわたし、それが藩にばれると大ごとになるので自ら命を絶ってたりですから

私の感覚で言えば龍馬さんですが 今で言えばちょっとおつむが足りない子供だったんだと思います

それこそ特殊学級に~くらいの

それを坂本家の深い愛情で大きく大きく育て上げてですから

素晴らしいです はい

茫洋として細かいことにはこだわらないという性格も

多分ちょっと足りないからなんだと思います

さて維新後、この方の功績等は結構抹殺というか忘れ去られていましたが

日露戦争前夜に明治天皇の奥さんの皇后さまの枕もとに坂本龍馬が立たれ、その時の宮内大臣の田中さんに(実は田中さんは龍馬の作った海援隊の隊士)

あれはだれだ?と聞いたところ ありゃあ坂本龍馬という男で~

そんな逸話があったりです

私はこれは本当にあった話だと感じます はい

さてその坂本龍馬さん、世界の海援隊でもやるか~といってますが

維新後に生きていたら

やはり世界を股にかけた貿易商になっていたと思います

この方、当時の武士としては珍しく商売センスあったじゃないですか

生家の坂本家が大きな商家だったから、

また当時の日本で唯一国際貿易が認められていた長崎を本拠にしていたというのもありますが

私的にはおバカさんだったから

これ凄く大きい気がします どれくらい馬鹿かというと多分オール1

で精神薄弱と言われるくらいだったじゃないですか

子供の頃って これが幸いしたんじゃないかと

当時の勉強って儒教に基づくものじゃないですか

儒教の最大の欠点というのが商売、経済活動を最も卑しいものとして

見ることであり

結局江戸時代250年間通じて、儒教に毒されていたから江戸幕府の

経済政策って愚の骨頂だったのです

龍馬さんは良くも悪くも 勉強(儒教)におバカさんだったから

ついていけなかったのが幸いしたんじゃないかと

そのあたりの 勉強についていけなかったことが当時の流行の攘夷論に

もはまりすぎなかったんじゃないっすかね

そこが武市半平太との差だったかも(武市さんは超優秀だったので

逆に攘夷論から抜け出せれなかったのかも)

ちなみに私の中の幕末の第一の功績は勝海舟さんです

勝さんが龍馬の部下だった歴史に名を残す名外務大臣、陸奥宗光さんを

あんま評価してないのは

今どきの心理学でいうとこの自分と似たタイプで

自分の嫌な部分が投影されてるからなんじゃないかなと ははは

口が悪く嫌味が多くというそのあたりが

逆に龍馬さんをこのお二人とも高く評価してるのは

そこが全くない人物だったからかもですな~

コメント

  1. 岩根 美香 より:

    田中光顕、薩長閥が新政府で
    幅を利かす事を良く思っても
    いませんでしたもんね。

  2. ジミヘン より:

    維新後の龍馬再評価は薩長閥に牛耳られた新政府への抵抗のために神格化はありますよね
    田中さんはかなり持ったと睨んでます!

    皇后の夢に現れたこのタイミングで龍馬担ぎ出して出来れば薩長閥の力削ぎたいと

    実は陸奥さんなんかもそのがさくありますよね
    もと龍馬の部下達にしたらお前ら薩長の元勲たちより我らが龍馬の方が人間的にも功績だってでかいんだ!と言う思いあったでしょうな