陰陽道には式神というものを使う技術があったのです
当然我が家も使っていました
四国のいさなぎ流なんかでは式を打つという表現を使いますし
本土ではどっちかというと飛ばすという表現のほうが多かったんじゃないかな~と思ったり
ちなみに我が家は式を打つという表現でした
言語表現って結構大事でして
飛ばすというと人型
こんなのですが
こんなのが宙をひらひらと飛んでいくイメージで
打つというと人型を丑の刻参りのように木に釘で打ち付けるイメージ
いだきません?
私なんかは打つという表現のほうがより呪詛感が増す感じがします
ガチ呪詛的な
さすがに我が家でも呪詛なんかこの時代にやりませんが
式というのは使ったりはする ははは
意図的というよりも式を作っておいて毎日お祀りしてると
必要に応じて勝手に動いてくれる
そんな感じ
今どきは式がどういう働きするかと言いますと
人や情報を持ってきてくれる そんな感じなのです
私なんかのお仕事って結局どれだけ有益な人と情報を捕まえて
それをクライアントにお渡しするかが大事じゃないっすか
そんな感じなのです
ちなみに式神の式というのは 我が家では識と書くほうがイメージ的には近い気がします
式を作るときに最も重要なのは我が家では見立てですから
さて式に似たようなイメージを持たれるご眷属様ですが
私なんかにすると似て非なるもの
式は自分で作った意識体ですが眷属は神仏のお使い
なのでいくら眷属欲しがったって神仏がお前そろそろアイツのために働かんか?OR眷属自身が あいつのこと結構好きだから働いたるか
そう思ってくれないと働いいてくれない
どっちかというとこちらは受動的 働いてくれるのを待つしかなんですな
さて我が家なんかダキニ様をお祀りしてまして
昨年父がくも膜下出血で死にかけたとき、
ああ、だきにさまが曼荼羅の中心としてダキニ様を中心に今後展開してくな~と思ってと書いたじゃないっすか
その時師僧にも祈祷お願いしたら あんたの家狐使ってた?
狐が動いとると言われまして
ははは
うちというより実は我が家でダキニ様の眷属の白い狐が1体働いてくれてるんですな~
さてダキニ様 実は蛇も使ってると感じるのです
我が家のダキニ様は剣ではなく稲穂と如意宝珠を持ったいわゆる
豊川方式のお姿ですが
稲穂ではなく蛇を持ってることあるんですな
はっぴべんざいてんが蛇を持ってるような感じで
ああ、この方蛇も使われるな~と思ったり
と前置き長くなりましたが
今朝方ぼーっと考え事してたら まあ式というものが
良い答え持ってきてくれるのです
答えって本やらという媒体を通して、人の口を通してという間接的な場合と
脳に直接ダイレクトにという場合がありまして
今回は脳にダイレクト~です
能や歌舞伎、はたまた相撲や伝統武術というものの
伝統や立ち位置、今後とかそういうことに考えを巡らせてたら
なんと素晴らしい回答が(宗教なんかも)
それは次回
コメント
恐いですが荼枳尼様でも三天和合の方とか。稲荷様も元は蛇さんとも縁深いですし。
ダキニ様と弁天様縁深いっすよね~
ちなみに天河の弁天様はおっかないな~と思ったり
お姿がもうおっかないっすよね~