我が家の仏様を拝んでいるとあることが浮かぶ
土の中から芽が出てにょきにょきと成長し果実の実がなる
そしてそれを嬉しそうにいただいてる
そんなシーンが浮かぶのです
ああ、結局祈祷にしてもなんにしても種子がないものは出てこないな~
無から有は作り出せないな~
因果でいえば因果の種子がない願いというものは種が出ない
私がよく提唱する河の向こう側理論で
上流にないものは結局流れてこないということなのです
あとはやはり地というのは宝の蔵と言いますか
そんな感覚もあります
神社やお寺で祈祷をしてもらう、霊能者や占い師にアドバイスをもらう
結局は種子を作ることではなく
いかに効率よく芽を出させるかということ
種はあっても実は芽が出ないというものに
芽を出しましょう、出すのはまだまだ先だけどこのタイミングで何とか出しましょう
結局はそういうものじゃないかな~
どれだけ祈っても種子のないものは無理なものは無理
世の中そうなってるのでしょう
そう書くと皆さんがっかりされるでしょうが
ははは
ただですね
人間なんて結局は誰にどんな種が眠ってるかなんかはわかんないと思うのです
自分では想像もしてなかったような芽が出るかもしれないし
そればっかは人間の認識ではわからない
そう考えると実は有限でも無限の可能性に近い感覚だって
あるのでしょう
何度も書きますが私、努力は裏切ると思ってるのです
いくら努力したって望む結果を得れる人間のほうが圧倒的に少ない
結果論でいえば努力は裏切ります
ただその経験というものは上手に使えばすごく役立つ
もしかして後の人生を変えちゃうくらい重要な武器になる可能性だってある
大抵の成功者って努力して望んだ結果を手に入れて成功者となったよりも
努力しても望む結果は得られなかったけど
その経験を武器にして最初望んでた結果とは違う成功を手に入れてる方のほうが圧倒的に多いと思うのです
多分人間の生き方として考えればそちらのほうがより理想的な生き方なのかもと最近思うのです
スピの世界なんかがこの世は経験をするために生まれてきた~と言いますが
失敗も経験で素敵に
多分その考えってめっちゃ浅はかなんだと思うのですな
世間でいう失敗=望む結果を得れない
であるとすればその経験を失敗ととらえずに
経験を上手に使うために生まれてきた、人間知恵というものを使うために生まれてきた
そういう言い方のほうがより理想に近いんじゃないかと思うのであります
馬鹿とはさみは使いようとどこぞのかたがおっしゃいますが
ま、そんな感じですかね
いかに経験を生かすか
それが大事な生き方なんじゃないっすかね~
失敗した~、思い通りにいかない~とか言って
ふてくされてる暇があったら
それを上手に使えばよろしいのではないでしょうか?
人間前頭葉がついてるのですから
知恵を使いましょ
コメント
失敗すらネタにして、笑いを取るみたいなイメージでよろしいでしょうか? あるいは、関ケ原の戦いに負けても生き残りさえすれば、子孫が徳川を倒しちゃうみたいな薩摩や長州みたいな感じでしょうか? 仇討ちは正義なりですね。そんなワイルドさを大切にしたいものです。勉強になりました。ありがとうございます。