私が精神世界の住人やらで嫌いなのは 実は聖者は物質的に豊かではあってはならない、
物質的に豊かなものは精神的に卑しい、だから聖者ではないという論調です。
そういった方はヒマラヤなんかの山奥で仙人のように暮らしているはずだ、お金儲けを
している人間は絶対に卑しい、汚いやつだ
って風潮あるでしょ?それ嫌いです。
人類も文明も進化って欲からなのです。それこそ太古は生存の欲求 そっから進化したわけでしょ?
で戦争に勝って生き残る が文明の進歩に大きな役割を果たしたのは否めないでしょ?
現代は豊かな生活やらそういう欲求がでしょ?
でですね 本当の意味で人を救うのでしたら ブログで書いてるのですが 雇用を産みだす人、
経済を豊かに出切る人だと思ってるのです
私も結構 マス大山の人なので 力なき正義は正義ではないと思ってるんです
いくら良いといっても実現できなきゃ もしくは行動しなきゃって
現代でね、人を救うってやはり雇用を生み出して生活を豊かに出切る人だと思うのです
よく寄付なんかで あんなの売名行為とか言うかたいるじゃん たとえ売名行為でも寄付しない人よりは困ってる方にとってはありがたいじゃん(ま、ちゃんとした寄付先が大前提)
生活困ってる方に立派な教え語るよりお金や食べるもののほうが必要でしょ?
ボランティアだってする側が生活に困ってたらできないじゃん
する側がある程度の生活基盤が出来てるほうが安定して提供できるでしょ?
絶対ね 物質的ゆたかさを捨てるべきではないと思うのです。お金って大事だもん
そのお金で人を救えることって沢山あるのです
大事なのはね、そのゆたかさを手に入れる手段であって大義名分だったりなの
その稼ぎ方がやはり人を泣かせたり騙したりはだめなの 正当な対価として稼ぐことが大事なの。
お金=汚いものって図式分かるんですよ
実は私もずーっと思ってましたから なのでお金が入ると全部使い切らなくては 不浄だぞ!
と思ってたのです。ですがあるとき母親が お金がないと本当に困ってる人は助けれない
って話をしたのです そっからですね お金の大切さ、ゆたかさの大切さを知ったのは
それまでは聖者は清貧ってかってに思ってましたから
大事なのは稼ぎ方と使い方です 物質的ゆたかさは本当の幸せじゃないって言うじゃないですか?
スピ系は でもさ、物質的に豊かで精神的にも豊かなほうがいいじゃん
わたしね、精神世界や人の道をとく人、導く人って本当はインドの聖者みたいな人
(日本だと浮浪者さん?)よりも経済界なんかで「成功を治めた方がとくべきだと思うんです
じゃないと説得力ないし それにそういう方達って実際に豊かにできる可能性はあるじゃん
雇用持ってるんだから そういう方がやっぱお金じゃないんです というなら凄く納得できるじゃん