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神田明神の祟りは天海が仕掛けた??

さて神田明神でとても興味深いメールいただきました

神田明神の本殿の後ろ側と、○○の敷地が繋がっています。
同じ敷地ってことになります。

後ろの門の鳥居や階段は、会社がお金出して作ったと聞きました。
社内で明神様のいろんな都市伝説を聞きましたよ~
本殿に背中を向ける机の配置に座った社員は
病気になったり、
謎の急死をしたり、なんですって。

あとは、戦後、GHQの区画整理によるものかもしれませんが
○○ビルを含めて、あの辺は本当は文京区エリアなんです。
でも企業って「千代田区」に位置していることがけっこう重要らしくて
“だって神田明神さまと同じ土地なんだもん、ウチは千代田区でしょ!”という理由で
あの辺、すごく曲がった感じになって無理やり千代田区なんですよ(笑)。

そんなこともあって神田明神様には怖いイメージはなく
(歌舞伎の菊之助の結婚式も抜け出して見に行きました)
明るくて裏手に小さな藤棚があったり、桜も綺麗に咲くし、
何とも美しいお社です。

日が落ちたあと、ものすごく真剣な顔をしてお参りしている女性や
日中でも両手を広げてウニャムニャ~とか呪文みたいなのを唱えてる男性とか、
怪しい人も集まりやすいです。(力がある所以でしょう)

前に、大手町の将門公の首塚の呪い特集をNHKでやってました。
番組に出てきた首塚を守る家の子孫の人が
“何かが起きるとき、
それは呪いではなく、事の進め方が違いますよと教えてるんです”と話していて
私はそっちのほうが納得いきましたよ。

毎度ありがとうございます 背中を向けない配置 本当だったのですな
さて私このメールで凄くインスパイアされたのです

どれくらいって?3記事くらい書けそうな位

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将門公の祟り と言われてるでしょ?神田明神に関わる怪異って

実は将門公の祟りじゃないなと だってさあ この方記事にも書いたけど 無念で無念でじゃないもん

亡くなりかたが いさぎよいというか ああ、武士と言うか 戦闘の死が身近にあった方の意識だもん なくなった後が 亡くなったときの意識はないです

あ!!と思ったら死んでいた って感じ で気付いたら 死んでて まあ 残念だが仕方ない
と言う感覚 無念で仕方ないというのではないです

よく霊能者が 将門公とつながって 無念で無念で 怒ってる とかいいますが あれ嘘だと思います 勝手に作ってるか もしくは後世の方たちの意識とつながっただけで

だってさあ 無念とかんじる時間ないです リーディングすると 優勢だったのが急に風向きが変わって流れ矢に当たってしんだ

くそうとか思うことはないです 勝てると思っていたし 風向きが変わって向かい風にはなったが
優勢ですし

なんとなくのちの人たちが将門公は無念だったろうな~

怨霊にもなるわな~と言うそんな意識が将門公というアイコンと結びついた怨霊という気がしたりもするのです

ともひとつがやはり天海さんなんですね~ 江戸幕府創設時の黒幕というか江戸を呪術的仕掛けの都市にした

この方が将門公を使って呪術的にいろいろ江戸の護りや対朝廷として使った気がするのです

将門の反乱=都の朝廷に対しての反乱でもあったわけじゃないですか

そこの意識を使って対都というものの強力な術的な使い方絶対してるよな~と思ったりです

ま、天海さんですから頼朝公というものもある意味江戸(関東の守護神)的に使わせていただいたんじゃないかと感じます

コメント

  1. 匿名 より:

    将門の無念という概念は、夢枕獏の帝都物語からかもですね。
    陰陽師といい、この作者さんのエンタメに間違った知識が広がってるのかも。
    あ、司馬遼太郎さんもですか。

    でもおもしろいから良いですよね。
    織田信長の子孫の某くんが泣き虫キャラなわけですし^^

  2. 瑞穂 より:

    源頼朝の名前が出たなら、一番の謎は、誰が頼朝を封印したのかです。過去ブログジミヘンさん、軍神八幡太郎義家が頼朝を選び、天下を取らせたと在りましたね。

    その前提にしたら、頼朝死後、源氏を滅ぼされた源氏一族の怒りや頼家、実朝の怨みは何故母北条政子や北条に行かなかったのか。何故北条が幕府を支配出来たのか。

    滅ぼされた源氏と頼朝の霊は、奥さんの北条政子と北条氏に怒りや恨みを持たなかったのか。死後は、北条身内に子供と源氏断絶されたと頼朝は真実を理解した筈です。

    それとも、平家を滅ぼした因果応報と頼朝は諦めたのか。

    北条政子は、死に行く時、頼朝にどの様に説明や言い訳をする考えだったか。
    歴史の教科書は誰も答えないですよね。

    初代鎌倉幕府征夷大将軍、源頼朝こそ
    怨念抜群最大怨霊になると思うのですが。

  3. 風来坊 より:

    私の感覚では将門公の首塚は祟りとは無縁のとても清涼で気持ちいい場所に感じるのですが(神田明神裏側の稲荷も同じく)又、茨城の胴塚や国王神社も同じ感じです、ただ共通して言えるのが静か、茨城はともかく大手町あれは不思議です。
    隣のビルの工事は終わりましたがかなり気を使った防御壁でしたね~このまま語り継がれて行くのでしょうね~。

  4. よしお より:

    本物の将門公と信仰としての将門公の違いでしょうか?
    将門公の子孫には、女系ですが、坂東平氏に繋がり、天皇家にも血筋が入っていると言われてますもんね。
    将門方の平良文の子孫が一番繁栄していますし。
    ただ、千葉氏なんかは、成田山も信仰してますよね。
    そこらへんが、いまいちわからないといいますか、、、

    鶴岡八幡宮も、江戸時代に改築?されて、徳川家の守護神としての頼朝公になってる気がしますし。

  5. 匿名 より:

    私も首塚は清涼で気持ちがいいとしか感じなくて、全く怖くないんですよね。
    中には迷ってどうしてもたどり着けない人とかいるらしいですけど。
    鈍いのかな。

  6. jimi より:

    わたしも鶴岡八幡は源氏のというより江戸の(というか将軍家の)守護神になってる気がします
    八幡太郎ではなく頼朝公にと言う感じっすよね

    信仰としての将門公~ そんな感じで後の人々や当時の関東独立を夢見た方たちの
    想い云々が集合意識となって 無念の将門公、怨霊神としての~と言う磁場を作ったかも

    じつは将門さんも最初から関東独立国のために立ち上がったというよりは成り行き上仕方なく~だったと思うんですよね

    まあこういう流れだからのらざるをえないし、乗るからには勝たねば!!そんな感じだったのでしょうな

  7. みどり より:

    鶴岡八幡宮の帰りはやっぱり
    鳩サブレーのお店に行っちゃうんだよね。