さて昨日の続きです
ほら、今の私達って歴史を後から見てるから西軍につくなんてアホだなと思うけど。
当時は本当にわかんなかったと思うのです。
みんな悩んでた。
しかも実は西軍の方が有利では?的な空気の方が高かった気がするのです。
なので家康よりの諸侯も本当に大丈夫?って。
そこで家康は承久の乱のときに北条政子の一世一代の大演説にまなんで実は大儀は自分にあり!!というのを見せたかったのかも。
そしてこの天海というカードが後に凄く有効になってくのです。
関が原以降、家康はこの天海というカードメッチャ有効につかえるって。
大阪城の実質の城主淀殿にとって光秀は叔父殺しの
絶対に許せない相手なわけ!!
それを家康が重用するのって最大の挑発ですよね。
淀にすれば老い先短い家康が死ぬまでまずは
この大阪城を死守してたいわけでして。
家康は最大の危険分子の豊臣家が当時東アジア最大の
(世界最強?)難攻不落の大阪城に
いさせるのはメッチャ危険すぎなのでして。
なんとか陰に陽にプレッシャーをかけださせたかったが頑固でないわけ。
ならば自分の老い先考えると挑発して滅亡させるしかって
その挑発のカードの切り札の一つとしてつかえるなって。
ま、当初は秀よりを殺さず穏便に国替えで終わらせたかったと思います。
そこは情けではなくやはり主殺しの汚名を着たくないからで。
と考えると秀よりが真田に連れられ薩摩へ逃れたっていう噂も
実は家康があえて流したというのはうがり過ぎ?
(ま、これは家康は流してないですね、大阪の民衆のある種の願いかな。
義経が北海道に逃げたってのと同じようなね)
ま、相当眉唾説ですが。家康だったらこれくらいのこと考えててもおかしくないぞ!!って。
さて最後に検証。土岐氏は江戸時代どうなってたか。
なんと旗本に取り立てられてます!!
しかも紀州藩に召抱えられ、吉宗が将軍になると幕臣になったものも!!
あやしい!!
吉宗って神君家康を崇拝してた男です。
ま、歴史の真相なんて分からんもんだしね。
文献中心の歴史だって残ってる文献だけで分かるわけないし、
基本勝者のれきしかんですからね~
ま、ファンタジーで。