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修行の目的

世の中にはいろんな行と言うものがある(らしい)

ま、修行と言う奴ね

山に入ったり、滝に打たれたり、お堂にこもったりの宗教的なものから、料理や武道の世界にだって修行はある

さて何のため?

これが一番大事なのです

スピや宗教、霊的な修行なんかだと、超人追及といいますか、

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霊能の開発のため、神霊とつながるためと言う場合も多いですが

どうなんすかね?と思うのです

それは目的として

ま、人それぞれですしなのでいいですが

私なんかにしたらそれって、野球でいうとこの筋トレと同じで

筋肉を大きくする、パワーアップのため的なものだと思うのです

目的って筋肉をつけるではなく、バッティングを上手にするとか

相手を抑える技術を手に入れて勝ち星を増やすじゃないっすか

あくまでもそのための手段でしかない

行なんかも同じだと思うのです

超人になる、霊能を開発する、何のため??って

多分昔の高僧の方の修行の目的って超人になるよりも、衆生を救済するための力をつけるため~であったり、

そのための神仏の力を借りるための修行だったと思うのです(役行者さんの伝記漫画に描いてましたBY水木しげる)

例えば神仏とつながる、力を借りるという場合だって普通に考えて仏様の請願に合っていない思いの人間にはかさないと思うのです

仏様って衆生救済の請願立ててるじゃないっすか

その方が、修行なんかの目的を超人追及、霊能開発~にしてる人に力かすか~?

つながるのか??と思ったりなのですな

最近巷で流行ってる龍なんかでも、龍を付ける、一昔前だと守護神を付けてあげる~

そんなのありますが

それって龍や守護神と横並びの関係じゃないっすか

お仲間の仲良しさんだからつけれます~

そんな感じ

100歩譲って本当に龍や守護神を付けてもらえたとして

並列な関係の方達ってそんな力あるのか?あなたと横並びの龍なんて大してちからもなくないか??と思うのです

守護神だって我々より上位概念な方々だから力があるんじゃないのか?

すごく思うのです

さて上位のものに助けてもらう、力いただくにはって普通に考えて、

上位の方々の意に沿うことじゃないっすか

その意に沿ってなんらしか頑張っとるな~、しかも熱心にわしらを祀ってるし感心感心、

まずはそれじゃないかと思うのです

寺社仏閣なんかに行って欲望丸出しで~という方いるじゃないっすか

人間だもの、良くはあるのは当たり前ですが

それだって常識というものはある それをはるかに外れた願いなんかに

神霊ッてうごくのかな~

神さま、仏様の意に沿ってないじゃんと

結局意にそわない願いなんて力かさないと思うのです

それでも叶っちゃう場合って、よろしくない霊的存在のおかげなのか

もしくはその人の能力や運なんかが圧倒的に高く、霊的な助け一切なくかなえれた場合だと思うのです

そういう方っていますから

ただそういう場合って守りと言うもの、支えと言うものがないから結構砂上の楼閣状態ではあると思うのです

この世は自由な選択~と言う方々もいますが

私なんかは砂上の楼閣は嫌ですから

安定した幸せを欲しますので、神様や仏様の意には

なるたけ沿ったほうがいいんじゃないっすかね~

もしくは意にそった方向がなかなかむづかしい場合は最低でも

こりゃあ怒るだろうな~と言うことはふつうに避けたほうがいいと思うのであります

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コメント

  1. Piko より:

    まあ
    超人になって有名になって金儲けしたい!
    霊能開発して有名になって金儲けしたい!名声を得たい!

    趣味的にとか
    不思議大好きとか・・・・

    純粋に民衆を助けたいという気持
    100パセントーって人いるのかな?

    30年以上前
    スピという言葉がまだない時代
    あるマスコミにも時々出ていた霊能先生でさえやっぱりお金大好きとおっしゃってました。
    相談料高めなので小金持ち相手のご商売なんだなと。

  2. Piko より:

    修行しなくても
    先天的に能力ある人達は
    生まれながらに神仏に見込まれた人達なんでしょうね。

    そういえば
    鶴太郎さんは
    お笑いタレント→絵画→ヨガと
    なにを目指しているのでしょう?
    ヨガを初めてから修行者のようになりましたが大丈夫か?と変な心配したりでそのうち病気するんじゃないか?!

    根底にあるものは
    やはり時を見ながらリニュアルしなければこの世界で生き残れない

    同じ自分ではいけない!
    変化している自分を目指しているのでしょうかね。

  3. あー坊 より:

    修行って、「これが出来る様になったからお終い」じゃなくて、一生続けるもの。という気がします。出来る様になった水準を落とさないようにするには、日々の研鑽が大切よねと。
    若い時に必死になって覚えた外国語、その後続けることが難しくなったらどんどん忘れてしまいまして…そんなことと一緒にするなと言われそうですが。